「天使の贈り物」


第11話  永遠



真澄はマヤと思いが通じ合った日から仕事そっちのけで、毎日病院に顔を出して水城を困らせていた。
面会時間が迫ると、そそくさと机の上を片付け水城の目を盗むようにして会社を抜け出していたのだ。
それを三日も続けられては、さすがに敏腕秘書も黙っていられなかった。

「…真澄様。思いが通じ合ってお幸せなのは分かりますが、社長としてお仕事をしていただきませんと会社が傾いてしまいますわ」

「なら、君が社長をやってくれ。俺は、あの二人が可愛くて仕方が無いんだ」

ついこの間まで不機嫌を隠さずに怒鳴り散らしていた真澄が、コロッと態度を変え恐ろしいくらい和やかに微笑んでいた。


水城は真澄の言葉に顔を顰めると、片手でこめかみ部分を押さえる。
この三日間、目の前に座る上司の勝手な行動のおかげで、スケジュール変更を何度も余儀無くさせられ偏頭痛に悩まされているのだ。
しまりのない顔をしている真澄に、水城は鋭い眼差しを向け一喝した。

「いい加減にしてください!! お二人は、すぐにお屋敷に帰ってこられるではありませんか。真澄様は一家の大黒柱として、お二人を守っていかれるのでしょう。会社が潰れては意味がありませんわよ」

「うっ!……わかったよ。だが面会時間に間に合うように帰らせてくれ。今の俺は二人に会うのが楽しみなんだ」

真澄は何もかもお見通しの水城に頭が上がらない。
それでも、やっと手に入れた幸せな時間を諦めることが出来ず真澄は懇願した。


水城は、サングラスの端を軽く上げ不敵な笑みを浮かべる。

「ええ。承知しております。正直な所、社長には就業時間終了までは会社に居ていただかないと社員に示しがつかないのですけれど」

水城は、あえてここで一息つき、わざとらしくコホンと一つ咳をする。

「一応、社内では、社長が毎日15時前に外出されているのを他社への商談の為とさせていただいております。結局、連日そのまま直帰状態ですが…」

水城にジロリと睨まれ、後ろめたい真澄は慌てて視線を逸らす。

「ですから、目の前にある山のように溜まった未決済書類を速やかに片付けていただかないと、お時間に間に合いませんわ」

「な、何だって?」

真澄は慌てて腕時計に目をやる。
あと一時間で面会時間が始まってしまう。
真澄は二人に会うために気持ちを切り替えると、今にも崩れそうな山積みの書類に慌てて目を通しだした。

水城は、やっと書類に集中した真澄に微笑むと静かに社長室を出て行く。



いつかはこんな日が来るとは思っていたけれど…。
本当に幸せそうなお顔をされるようになって。
マヤちゃんのおかげね。
それにしても、マヤちゃんの行動力には恐れ入るわ。
今回の件は、会長の仕業かと思っていたのだけれど…。
まさか会長が手助けをしていたとはね。
でも、そのおかげで二人は結ばれたわけだし。
こんなに長い間遠回りをした不器用な二人だから目が離せないわね。
まあ、そんな二人の仕事を、しっかりとサポートさせていただきますわ。








マヤが出産して一週間後、母子共に健康で無事に退院の日を迎える。
勿論、真澄が二人を迎えに行った。
11時頃に退院する為、準備をしていたマヤの部屋に真澄が訪れる。
平日で仕事中のはずの真澄が、現れたことにマヤは驚いた。

「速水さん。今日、お仕事じゃないんですか?」

「あぁ。今日は、もう終わったよ。二人がやっと家に帰ってくるのに、いつまでも仕事なんてしていられないからな」

「えぇーー。仕事虫の速水さんが?」

マヤが思わず大きな声で叫ぶ。
真澄が慌ててマヤの口に手を当てた。
マヤの部屋には、母子同室となった最愛の娘が新生児のベッドですやすやと眠っているのだ。
真澄にコツンと頭を小突かれ、マヤはペロッと舌を出す。
娘を起こさないように、真澄は小さな声で話を続ける。

「おいおい。これからは、マイホームパパになるつもりなんだが」

「うそ! だって、似合わないよ」


マヤに似合わないと言われ、真澄は苦笑するしかない。
大都の鬼社長を知っているマヤだからこその発言だ。

「と言っても、やっぱり仕事が忙しいから遅く帰る日は多いかもしれないが、これからはなるべく早く帰るつもりだ。一緒に御飯を食べたり、娘を風呂に入れたりしたいんだ。……君との時間も大切にしたい」

真澄の瞳は熱を帯びて力強く愛を語っている。

「……速水さん」

マヤは俯いて頬を赤らめた。

そんなマヤの仕草に真澄の心は満たされる。
マヤが準備した荷物を真澄は両手で持つと帰りを促した。

「さあ、帰るぞ」

「はい」


マヤは新生児ドレスを着て眠ったままの娘を起こさないように、ベッドから静かに抱き上げる。

娘を抱き母親の表情をするマヤを見て、ふと頭を掠めたのが真澄だけが口にする彼女の愛称。
もう、マヤをそう呼ぶことは出来ないなと寂しい気持ちが胸を締め付ける。
真澄の口から名残惜しむように、その呼び名が零れ落ちた。

「チビちゃん………の部屋を用意しているんだ」

「えっ?」

勝手に口から零れ落ちた彼なりに親しみを込めた愛称を聞かれてしまった真澄は、誤魔化すように苦笑する。

「ああ。こっちのお姫様のことだよ」

真澄は、マヤの腕の中で眠る愛しい娘の頬を指で軽く突付いた。








マヤが一週間ぶりに屋敷に帰ると、英介をはじめ使用人達が温かく迎えてくれた。
皆に出迎えられ、なかなかマヤと娘を放さない彼らに真澄は苛立つ。

「すまないが、俺の大事な二人を解放してくれないか?」

真澄の低く地を這うような声に、穏やかだった空気は一変した。

「誰のおかげで、二人を手に入れることが出来たと思っているんだ?」

嫌味が含まれた言葉を英介からぶつけられ、真澄は苦虫を潰したような顔になる。
今回のことは、さすがの真澄も英介には頭が上がらなかった。

「……わかりました。もう少しだけ待ちますよ」

真澄は苛々を紛らわす為に煙草を取り出して火を点けようとした。
すぐに、マヤが慌てて真澄に声をかけた。

「速水さん!! 吸わないで」

マヤの声にライターを動かす手がピタッと止まる。
視線をマヤに向けると、その腕の中ですやすやと眠る愛娘が目に入った。
――そうか、子供の前では吸えないな

「すまない」

真澄は素直に謝ると煙草とライターを片付け、家で吸うのは自室だけにしようと心に決めた。



ようやく解放された二人は、真澄に連れられ二階の部屋へと案内される。
マヤのいない間に改装された屋敷には、真澄の言うとおり娘の部屋が用意されていた。
日当たりの良い部屋の中には、ベビーベッドに可愛いフリフリのついた女の子の服やシューズ、大きなぬいぐるみとおもちゃが綺麗に並べて置かれている。

「速水さん。これって……」

「ああ。俺が用意した。君は男か女かわからないからそんなに用意していなかったんだろう? それに俺とのことがあったから、この家に帰ってくる気は無かったんじゃないのか?」

「えっと、それは……」

マヤは真澄の鋭い指摘に言葉が出てこない。

「いいんだよ。マヤ。俺達はこの子が生まれた時から本当の夫婦になったんだ。もう、お互いの気持ちを隠して生活していた時とは違う。そうだろ?」

「はい」

「それから、もう一部屋用意したんだ。ちょっと来てくれないか」

真澄はマヤの腕の中で眠っている娘をベビーベッドに寝かせ、使用人にしばらくの間様子をみているように促した。
両手が空いたマヤの右手を真澄は力強く握ると、軽く引っ張って娘の隣の部屋へと案内する。



「どうぞ」

真澄に促されマヤは、その部屋に入っていった。

目の前にはキングサイズのベッドが置かれている。
そして、マヤが愛用していたドレッサーも、この部屋に運び込まれていた。

「あの、この部屋は?」

「俺と君の寝室だ」

「えぇーーーっ!!」

屋敷の一階にまで聞えたかもしれない。
マヤの舞台で鍛えられた大きな声が部屋中に響く。
隣の部屋で眠っている娘も起きたのではと思うほど大きな声だった。
あまりに驚くマヤに真澄は苦笑する。


「そんなに驚かなくてもいいだろう。俺達は夫婦なんだから。今までがおかしかったんだ」

「それは、そうだけど……」

マヤは言葉が続かない。
少し困ったような素振りを見せるマヤに真澄は不安になってくる。

「それとも君は、俺と一緒の部屋では嫌なのか?」

「そ、そんなことは……………でも」

「でも?」

「あの、あたし、出産したところだから…傷が治るまでは…その今は、まだ出来なくて……」

マヤは恥ずかしそうに俯きながらボソボソと呟く。


「マヤ。心配しなくてもいい。わかっているよ。俺は君と一緒に居たい。もう別々の部屋で寝起きする必要はないだろ。朝、目覚めた時、マヤが俺の腕の中にいて欲しいんだ。正直、この1ヶ月、男としてはかなり我慢しなければいけないので辛い。だが解禁になったら、今度こそ君の全てを忘れないように全身全霊で愛を注ぐよ」

「は、はやみさん。…な、何言ってるんですか?」

マヤは真澄の男としての自分への欲望を聞き、驚きから声が上擦ってしまう。


彼の言葉に戸惑い、反応するマヤが可愛くて、真澄は彼女を抱き寄せると耳元で本音を囁いた。

「俺は君と出会ってから、もう何年もマヤ一筋なんだ」

「……信じられない。だって、出会った頃、あたし本当に子供だったのよ」

マヤは逞しい胸から顔を上げ、真澄の真意を確かめようと彼を見つめた。

真澄は出会った頃からそれまでの軌跡を思い出すように、遠くを見つめ目を細める。

「…そうだな。あの頃は自覚はなかったが…。俺は随分、待ったと思わないか? 君が大人になって紅天女を得るまでだから7年以上だ。自分でも忍耐強いほうだと思うよ。それに正直に言うと、君との初めての一夜を覚えていなかったのは一生の不覚だ。俺がどれだけ望んでいたか知らないだろう? あの社務所の一夜でさえ、何もなかったことは奇跡に近いんだ。それくらい俺は君を求めていた」

「…ほ、ほんとうに?」

「あぁ。君は、妊娠した時に言っていただろう。俺が君のことを女として見てくれない。愛してくれないと。そんな風に思わせてしまった俺が一番悪いのはわかっている。俺がどれだけマヤを女として愛したかったか、何よりも大切な女性だということをマヤにわかって欲しいと思っているんだ」


「…だけど…心の準備が…」

「俺は覚えていないが、経験したことだろ? 準備なんて必要ないじゃないか。俺達の本当の初夜は、誰にも邪魔されないようにホテルのスイートルームで過ごそう。それまで待つよ。とにかく俺には君が必要だってことだ」

マヤは真っ赤になって俯いた。
火照った頬を両手で隠しながら小さな声で呟く。

「………はやみさん。急に積極的ですよ」

「そうか? 俺はせっかく手に入れた宝物をもう2度と離さないだけだ」

真澄はマヤに優しい瞳を向け微笑む。

「…だけど、娘を預けてホテルになんて…」

「じゃあ、このベッドでもかまわない。そのかわり、朝まで君を放すつもりはないから。結局は誰かに見てもらわないといけないかもな」

真澄は悪戯を企む子供のように笑った。

マヤは真澄の正直な気持ちを聞くことができて、内心嬉しかった。
思いが通じ合ったのだから拒む必要はないのだけど、改めてそのことを考えると一度経験しているとはいえマヤは恥ずかしくて仕方がなかったのだ。
しかし、経験豊富な真澄には敵わないとマヤは観念する。



「それからお願いがあるんだ。君もずっと前から速水さんだろ。夫を名字で呼ぶのは君ぐらいじゃないか? 子供も出来たことだし名前で呼んで欲しい」

「だ、だって…。そんなこと急に言われても……」

マヤは上目遣いで真澄を見つめ恥ずかしそうにモジモジしている。

そんなマヤに真澄は再び懇願した。

「今日からは名前で呼んでくれ」

「名前って……ま・す・み・さん?」

「そうだ。ありがとう、マヤ」

真澄は初めて名前で呼ばれたことに満面の笑みを浮かべると、マヤを包むように抱きしめた。


ふと真澄の頭の中に二人にとってかけがえのない天使と共に三人で手を繋いで歩く、そんな近い未来が思い浮かんだ。
真澄の中で愛しい気持ちが一気に溢れ出す。
マヤの顎を掴むとゆっくりと上を向かせた。
真澄とマヤのお互いを求める熱い視線が絡み合う。
二人は引き寄せられるように唇を重ねた。
真澄はマヤに思いの丈を注ぎ込むように深く深く口付ける。

この幸せな時が永遠に続きますようにと願いを込めて。


これからは何度もこの腕の中にいる愛しい人に触れ愛を伝えよう。
抱きしめ口付け一つになって離れることがないように。

――永遠に君を愛し続ける




2007年 7月30日



Fin







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