「クリスマスイブの訪問者」


 中編





クリスマスイブのありえない訪問者は、今日、何度となく頭に浮かんだマヤの愛する人、速水真澄だった。

――なぜ、彼がここに?

固まって何の返答もしないマヤに、速水は再び呼び出しボタンを押したのだろう。

「ピンポーン」

二度目の音にようやく我に返ったマヤは、慌てて受話器をあげる。


「…はい」

「良かった。家にいたんだな。速水だ。話がある。開けてくれないか?」

「あの、速水社長。…何の御用でしょうか?」

マヤは大都に所属してから速水と話をする時、必ず彼のことを速水社長と呼んでいた。
それは、速水への気持ちを抑える為、所属事務所の社長と女優という関係で距離をおくようにしていたのだ。

「今日は、プライベートで来たんだ。社長はやめてくれないか? それに、出来れば君の顔を見て話がしたい。頼む。開けてくれ」

速水の真剣な表情と切羽詰った声に、マヤは仕方なく応じた。

「今、開けます」



しばらくして、玄関先で呼び出し音が鳴る。
マヤは、ドアスコープから速水であることを確認すると鍵を回しドアをゆっくりと開けた。

「速水さん、こんばんは」

マヤは速水の突然の訪問に驚き戸惑っている内心を隠すように、冷静な表情を作って挨拶をした。
トレンチコートの襟を立て、少し身を縮めた速水が立っている。

「すまない、こんな時間に。もっと早く来るつもりだったんだが、予定外の仕事が入ってね。中に入ってもいいか?」

「散らかってますけど…どうぞ」


マヤはリビングに速水を案内した。
リビングに入ってすぐ、速水の足が止まる。
カウンターキッチンの前にあるテーブルの上に並べた料理に、速水の目が釘付けになっていた。

「…チビちゃん。君はまさか、これだけのものを一人で食べるつもりだったのか?」

「えっ。…はい」

速水に呆れられているとわかっていたが素直に答えた。

「どう見たって二人前はあるだろう。それに……どうしてケーキが大きいんだ?」

「あ、あたし。小さい頃からクリスマスケーキに憧れていて…。去年はつきかげの皆でパーティーをしたから良かったんだけど今年は一人だから。小さなショートケーキだと寂しくて。大きなケーキなら一人のクリスマスでも寂しくないかな? なんて…」

マヤは自分で言いながら、次第に悲しくなり俯いた。
これでは、クリスマスイブを過ごす相手が誰もいないと、速水に打ち明けてしまったようなものだ。
ますます速水に子ども扱いされるに違いない。


「それなら、俺が付き合おうか?」

ありえない速水の言葉に、マヤは驚き顔を上げた。

「えっ? だって、速水さんには紫織さんがいるでしょ。あたしなんかの相手をしていたら駄目ですよ」

「俺は、もう紫織さんの婚約者ではないんだ」

首を左右に振った彼は、穏やかな声で答えた。
今日は何度驚かされるのだろう。
マヤは、さすがに自分の耳を疑った。
それは、ずっとマヤにとっての願望だったから。
誰の物でもない速水であってほしいと。


「…ど、どうして?」

「公にはされていないが、半年前に婚約は解消されている。年明けには公表されるだろう」

速水は、まるで仕事の報告をするかのように淡々と口にする。
それがマヤの心に引っ掛った。

「うそ! だって、速水さん。紫織さんとの婚約パーティーで気持ちよく結婚したいって、言ってたじゃないですか!」

速水の言葉がマヤの心に波紋を起こし、封じていた彼への思いが暴れ始める。
その言葉で、マヤがどれだけ悩み傷ついたことか。
所詮、自分には手の届かない人なのだとつくづく思い知らされたのだから。
マヤは、いつの間にか昔のように速水に向かって叫んでいた。


「あれは、俺の本当の気持ちじゃない。マヤ。落ち着いてくれないか。君とゆっくりと話がしたいんだ」

速水は自分の部屋ではないにもかかわらず、マヤをリビングのソファに座るように促す。
マヤは、素直に応じて腰掛けた。
速水はマヤの前に跪き、真剣な表情で見つめてくる。
マヤは彼の眼差しの強さに、視線を逸らすことが出来ない。


「大事な話があると言っただろう。俺は、これを言う為にこの一年、がむしゃらに働いてきたんだ」

速水の表情が硬くなる。
少し強張った顔のまま、彼は大きく深呼吸をした。

「マヤ。君が好きだ。ずっと好きだった」

マヤは速水の告白に目を見開く。

「…う、うそ。…な、な、なに言ってるんですか?」

マヤが何とか搾り出した言葉は震えていた。


「本当だ。もう何年も昔から君だけを見つめてきた。一時は君への気持ちを諦める為に見合いをした。紫織さんとのことは会社の為の結婚だったんだ。だが、俺には限界だった。君の紅天女を観てから、自分の気持ちを偽ることに疲れたんだ。もし、君が俺を受け入れてくれなくても俺はずっと君だけを愛し続ける」

「……し、信じられない。…ど、どうして、あたしなんか…」

「君は自分の魅力が本当にわかっていないんだな。最初は君の舞台への情熱に惹かれたんだ。だけど、舞台を下りた君も俺にとっては大切な存在だった。俺にありのまま心で立ち向かってくる君に、どうしようもなく惹かれた。君と居る時だけ俺は幸せだった。俺の気持ちが迷惑なのは、わかっているつもりだ。俺は、君のお母さんを殺してしまったんだから…」

速水は目を伏せると、顔を歪ませた。
マヤは速水がそのことでまだ苦しんでいることを悟る。


「速水さん。母のことは、もういいんです。あれは、不運が重なっただけ。本当に悪いのはあたしなんです」

「いや、違う!!」

速水は、マヤの言葉を否定するように叫んだ。
そんな速水にマヤは穏やかな眼差しを向けると落ち着いた声で話し出した。

「いいえ。あたしが母を捨てて演劇の世界へ、月影先生のところへ行かなければ母があんな目に遭うことはなかったんです。連絡もせず、自分のことばかり考えて生きていたから…。速水さんは悪くないんです。もう苦しまないでください。あたしは、もうあなたのことを恨んだり憎んでいません」

マヤは、いつか速水に謝りたいと思っていた。
母が亡くなった時、速水に対して吐いた暴言の数々を。
母の死を速水の所為にしてしまったことを。

「……マヤ。ありがとう」

マヤの気持ちが届いたのだろうか。
速水は俯いたまま小さな声で答えた。




2006年12月20日   written by 瑠衣



…to be continued





* back * * index * * next *