「天使の贈り物」


第2話  相談





真澄は紫織と話をつけると、そのまま鷹宮翁の部屋に出向き今回の話をすべて白紙に戻すことを申し入れた。
鷹宮翁の怒りは相当なものですぐに大都への圧力をかけてきたが、予想通りの展開に真澄は裏世界から仕入れた情報と証拠を元に少々荒い手を使ってそれを封じることに成功する。
限られた時間の中で、この計画を成功させなければならないのだ。
水面下で鷹宮との提携事業と婚約解消を白紙に戻し大都の損失を最小限に抑える為に奔走しながら、もう一つの計画を実行する為にマヤに会いに行くことにした。



マヤのアパート近くに車を停めた真澄は、彼女の部屋に明かりが点いていることを確認する。
これから真澄が実行することは、もしかしたら彼女を苦しめることになるかもしれない。
だが、真澄のマヤを守りたいという気持ちは、半端な思いではない。
もし彼女を失うことになれば……。

真澄はギュッと拳を握り締め決意を新たにするとマヤの部屋のドアをノックした。

「はい。どちら様ですか?」

「速水だ。話がある。開けてくれないか?」

「は、はやみさん? ちょっと、待ってください」

マヤは突然の真澄の訪問に慌てながら急いでドアを開ける。

「大事な話がある。外で話がしたい。出掛けても大丈夫か?」

「あ、はい」

「じゃあ、行くぞ」

真澄は半ば強引にマヤを車の助手席に乗せるとアクセルを踏んで目的の場所へと発進した。
自分を奮い立たせ一歩前へ踏み出す為に。




今まで全く音沙汰がなかったのに突然現れて車に乗せられてから何も言わない真澄にマヤは問いかける。

「あ、あの、速水さん。何処に行くんですか?」

「誰にも邪魔されない所だ」

それ以上何も言わない真澄にマヤは黙り込む。
窓の外の景色を眺めながら不安な気持ちを押し隠していた。








大都芸能から程近い所で、車が地下の駐車場に入る。
真澄はマヤを自分が所有するプライベートマンションへと連れてきた。

「どうぞ」

真澄はマヤを部屋の中へと案内する。
マヤはキョロキョロしながら部屋を見回した。

「こ、ここって、速水さんの家なんですか?」

「ああ。一人で居たい時の為に買ったんだ」

マヤは真澄の言葉が引っ掛り、すぐに聞き返す。

「一人でって……。速水さん、もうすぐ結婚するんでしょう?」

真澄はマヤの問いには答えずに、珈琲を入れにキッチンへと向かう。

「チビちゃん。ソファにでも座っているといい。今、珈琲を入れるから」



マヤは上演権のことで大都芸能から誰も来ないことにショックを受けていた。
長年、上演権の獲得に力を入れていた真澄なら、すぐに来てくれるだろうと思っていたのに一向に音沙汰が無い。
マヤが紅天女の後継者だから欲しくないのだろうかと悲しくなっていたのだ。
それが突然現れた真澄に話があると、ここまで連れてこられている。
真澄の大事な話は上演権のことだろう。
人に聞かれても困る話だから、彼のマンションに連れてきたのだろうか。
マヤの中では、とっくに預け先は決めていたというのに。


「どうぞ」

真澄の声に考え込んでいたマヤの意識は呼び戻される。
目の前のテーブルにそっと珈琲が差し出された。
そして、向かい側に真澄はゆっくりと腰を下ろす。

「チビちゃんは、甘党だからな。砂糖とミルクをつけておいた」

真澄はいきなり連れてこられ固まっているマヤの緊張を解すように、からかい気味に声をかける。
しかし、マヤの表情は相変わらず硬い。

「す、すみません」

「何だ。今日はやけに大人しいな」

マヤが言い返してくることを予想していた真澄は調子が狂う。



マヤは真澄が入れてくれた珈琲に手を伸ばす。
両手をカップに添え持ち上げると温もりが手に広がる。
静かに口をつけると身体の中を流れていく温かい液体が心を落ち着かせていく。
マヤは自分を奮い立たせると落ち着いた口調で切り出した。

「あの、速水さんの大事なお話って何ですか?」

真澄は真剣な表情になると、マヤを刺激しないように言葉を選びながら優しい口調で語りかけた。

「ああ。上演権のことだ。昔から君には嫌われているからなかなか動くことが出来なかったんだが、大都での上演を考えてみてくれないか?」

「あたし、嫌ってなんて…」

「昔、君はよく言っていたじゃないか。もし、あたしが後継者になっても大都で上演なんてしないって」

真澄はその頃のマヤを思い出し口元を緩める。

「それは……子供だったから」


マヤは目を伏せ俯く。
真澄の言う通り、昔のマヤは彼に対して毛嫌いする態度ばかり取り続けていた。
マヤが真澄を嫌っていると思われても仕方のないことだ。
今更、あなたを好きですなどと言えるわけがない。
それに真澄はもうすぐ結婚するのだ。
一生の伴侶になれないのなら紅天女の上演権を真澄に任せて、マヤはその繋がりだけで生きていこうと考えていた。
紫の薔薇の人として支えてくれた真澄に返せるものは、彼が長年欲しがっていた紅天女の上演権だけ。
真澄が望んでくれるなら全てを差し出すつもりだったのだ。



「じゃあ、今なら大都での上演も考えてくれるのか?」

真澄の言葉にマヤは顔を上げ背筋を伸ばす。
しっかりと真澄の目を見て答えた。

「はい。もう、ずっと前から決めていたんです。大都でお願いしようって」

真澄はマヤの凛とした態度と思わぬ言葉に目を見開き驚いた。

「チ、チビちゃん。…ほ、本気か?」

「ええ。でも…。速水さん。全然来てくれないから……。あたしが紅天女の後継者だからいらないのかなって」

マヤは俯くとコーヒーカップに視線を落とした。



真澄は信じられない思いでマヤを見つめる。
多少の抵抗や反発を予想していた真澄は、正直こんな展開は全く考えていなかったのだ。

「そ、そんなことはない。本当にいいのか? 後悔してもしらんぞ」

「はい。大丈夫です。よろしくお願いします」

マヤは軽く頭を下げ、とても落ち着いた様子で答えた。
それが真澄には信じられない。
いつものマヤなら頼りなさそうな仕草を見せたりするのに。
本当に彼女は前から決心していたのだろう。
そうでなければ目の前に居るマヤは女優のマヤかもしれない。
彼女は演技派女優なのだから。

あまりにも呆気なく上演権の話が進んだことに真澄は拍子抜けしてしまう。
予想外の展開に自分のペースを取り戻そうと煙草を一本取り出した。
愛用のライターで火を点け紫煙をたなびかせる。
真澄は、ふぅ〜と煙を吐き出し一息ついた。
彼女の突拍子もない言葉と行動には、いつも取り乱し冷静さをなくしてしまう。
だからこそ、自分のテリトリーであるマンションに連れて来たというのに。








マヤは落ち着いた瞳で煙の行方を眺めていた。
今の彼女なら次の話にも耳を傾けてくれるかもしれない。
真澄は意を決すると彼にとって本題である話を切り出した。

「わかった。預からせてもらうよ。実は、もう一つ話があるんだ」

「何ですか?」

マヤは不思議そうに問いかける。


マヤの中では、きっと上演権の話以外に大事な話があるとは考えていなかったのだろう。
これから真澄が口にすることはマヤを最も驚かせることになる。
真澄の本音として言えば上演権よりもこちらの話が重要だ。
マヤの様子を伺いながら慎重に進めようと穏やかな声で話し始めた。

「君は紅天女の後継者で上演権を持っている。この上演権を喉から手が出るほど欲しい奴らは五万といる。これから君は狙われることが多くなるだろう」

真澄はそこでひと息つく。

「それで、相談なんだが」

「はい」

真澄はマヤに向き合うと真剣な表情で彼女を見つめた。


「俺と結婚して欲しい」

「えぇーーーーー」

マヤの舞台で鍛えられた大きな声が部屋中に響き渡った。
先程まで冷静に話を聞いていた彼女のあまりの驚きように真澄は苦笑する。
すぐに取り付くように言葉が零れた。

「そんなに驚くな。心配しなくてもいい。政略結婚だ」

「………政略結婚?」

マヤは首をかしげ聞き返す。


「ああ。君が俺の妻になれば、他の奴らが手を出すことはないだろう。何と言っても俺は大都芸能の鬼社長で手段を選ばぬ冷血漢だからな。そんな俺に喧嘩を仕掛ける奴もいまい」

真澄は淡々とマヤに理由を語る。
語られる言葉と違い、いつになく真剣な表情の真澄にマヤは焦り始めた。

「ちょ、ちょっと、待ってください!」

「何だ?」

真澄はぶっきら棒に返事する。



マヤは、ここ最近ずっと悩んでいた事を確かめずにはいられなかった。
あと1ヶ月で速水の結婚式が執り行われるという事実を。

「だ、だって、速水さん。そんなこと言ったって、紫織さんと婚約してるし、もうすぐ結婚するんでしょ。そんなこと出来るわけないじゃないですか!
あたしが子供だからってからかわないでください!」

マヤは真澄の発言を否定すると自分にとって最も恐れている現実になって欲しくない事実を叫ぶ。
マヤの胸がキリリと痛んだ。
冗談でも言っていいことと悪いことがある。
そのことでマヤがどれだけ悩み傷ついているのか真澄は知らないのだ。


それを聞いた真澄は、たいしたことでもないと言う風に首を左右に振った。

「からかってなんかいない」

真澄は静かに呟いた。
そして、改めてマヤの目を見つめながら彼女の疑問を解く。

「言ってなかったな。紫織さんとの婚約は解消した。鷹宮グループとの提携事業解消も今、進めている。そのうちに公表することになるだろう」

マヤは信じられない事実を聞き、目を見開く。

「う、うそ! は、速水さん。紫織さんのこと好きだったんじゃないんですか?」

「いいや。彼女との結婚は会社の為の結婚だった。政略結婚だ」

無表情で真澄は淡々と答える。

「し、紫織さんとの結婚が政略結婚だったんですか?」

「そうだ。………そして、次の結婚相手は君だ」

真澄はしっかりとマヤの目を見つめたたまま言い切った。


マヤは真澄の言葉に絶句する。
押し寄せる不安からくる体の震えを抑えながら、かろうじて言葉を搾り出した。

「ど、どうして、あたしなんかと…」

「言っただろう。君は正当な上演権の持ち主だ。これから命を狙う奴だって出てくるかもしれない。俺は君の紅天女を高く評価している。俺の中で今、紅天女を演じることが出来るのは君だけだ。君にもしものことがあれば、今後の上演にも関わってくる。だから、俺の側に居れば君が狙われることはない。心配しなくてもいい。結婚しても今まで通り女優として仕事をしてくれて構わない。俺は君に手を出したりしないから。ただ、パーティーの席では、大都芸能社長の妻として出席してもらうことがあるかもしれない。君にとっては迷惑な話かもしれないが」

真澄はやや声のトーンを落としマヤの表情を伺った。

「そ、それで……速水さんはいいんですか?」

「俺は君さえ良ければ、すぐにでも入籍してもかまわない。考えてくれないか?」



真澄の迷いのない瞳とありえない返事にマヤは頭の中が混乱する。
マヤにとって結婚は愛する二人が永遠の愛を誓い一生寄り添って生きていくものだと思っていた。
いつかは自分もそんな相手を見つけて結婚できれば……。
真澄への愛に苦しむマヤは、現実から目を背けそんな儚い夢を思い描いていたのだけれど。
目の前の愛する人から語られた話は、そんな女心の夢さえも打ち砕くものだった。

「は、速水さんは……好きな人いないんですか?」

「いるよ」

真澄はマヤの問いかけに一瞬驚いたが、とても落ち着いた声で答えた。



穏やかな声で語られた返事にマヤの心臓は鷲づかみにされる。
真澄に好きな人がいる。
紫織と婚約した時に味わった苦しみが再び襲ってきたのだ。
マヤは真澄の気持ちが知りたかった。
好きな人がいるのにどうして他の女性と簡単に結婚するのか。
マヤは震える声を押し隠しながら問いかける。

「じゃあ……どうして?」


真澄は言葉を選びながらゆっくりと話し出した。

「君は信じないかもしれないが、俺はもう何年も一人の女性を思い続けている。残念ながら俺の思いが彼女に届くことはない。だから俺は会社の為に有利な女性と結婚することを選んだ」


マヤは真澄にそれほどの思いを秘めた女性がいることに驚いた。
紫織の側でエスコートしていた真澄の顔は、明らかに婚約者を大切にしているように見えたのに。
好きでもない女性にそこまで出来るのは、やはり仕事の為だと割り切っていたからなのだろう。

二人の間に静かな間が横たわる。
どちらも一言も発することなくお互いを見つめたまま、ゆるやかに時間だけが過ぎていく。
その静寂を先に破ったのはマヤだった。


「わ、わかりました。少し考えさせてください」

「ああ。いいだろう。君のような若い女性は結婚に憧れているんだろうな。そんな君に政略結婚を持ち出すのは心苦しいんだが、君の命に関わることだ。嫌いな男にプロポーズされても嬉しくないだろうが出来れば承知して欲しい」

いつになく優しい瞳で真澄に見つめられたマヤは錯覚を起こしそうになる。

「承知してくれるのなら……俺は、全力で君を守るよ」

静かにそれでいて決意の込められた真澄の穏やかな声がマヤの心に染み入る。

「はやみさん……」


真澄に聞こえないくらいの声でマヤは彼の名前を呟いた。
最後の真澄の言葉が愛されて言われた言葉なら、どんなに幸せだろうとマヤは思う。
マヤには彼の本当の意図が分からない。
影で紫の薔薇の人として支えてきてくれた彼が、今は大都芸能の社長として守ると言ってくれている。
女優としてこれから危険な目に遭うかもしれないから表立って助けてくれるのだろうか。
紫の薔薇の人としては手助けすることができないから。
彼の本心が聞きたいと思う気持ちをカップに残っていた珈琲と一緒に飲み込む。
ミルクと砂糖を入れても口の中に苦味が残っていた。
マヤの心に積み上げられていく口に出せない思いのように。



「さあ、今日はもう遅い。送っていくよ」

真澄はテーブルの上に置いていた車のキーを持つと立ち上がった。

「あ、はい」

「返事は俺の携帯にしてくれないか。この話は俺の独断で進めている。会社の方にかけられると、他社に話が漏れる可能性もあるからな」

真澄は自分の携帯番号が書かれたメモをマヤに渡した。

「わかりました。考えたらご連絡します」

「ああ、待っているよ。いい返事を期待している」


真澄はマヤを助手席に乗せ、アパートまで送っていく。
二人はマヤのアパートに到着するまで車中で一言も言葉を交わすことはなかった。
それぞれの胸に秘められた本当の思いを口にすることも出来ずに。
ただ、お互いの事だけを考えていた。


二人の思いは今夜の空に浮かんだ月のように霞がかかって隠されたままだった。




2006年12月08日



…to be continued







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