「天使の贈り物」 第5話 発覚 結婚して半年が経った頃、マヤが撮影中に体調を崩した。 マヤは現在、夏から放送予定の連続テレビドラマの撮影に入っている。 なかなか休みを取ることが出来ず、連日ハードスケジュールを余儀なくされていた。 梅雨の時期に入り、天候次第では撮影が進まないこともあって休みを入れることが出来ないのだ。 マヤは主役である為、他の俳優達との絡みも多い。 しかし、その日は大事をとってドラマの撮影は中断することが決まった。 マヤが長期に体調を崩しては、今回のドラマは放送予定日に間に合わなくなるという監督の配慮で。 マヤは監督や現場にいた俳優達に謝罪すると、マネージャーに付き添われ屋敷へと帰っていった。 勿論、真澄にもすぐにマヤの体調不調が報告された。 連絡を受けた真澄は、水城に頼み早めに仕事を切り上げ帰宅する。 マヤのことが心配な真澄は、家に帰ると真っ先に彼女の部屋を訪れた。 「チビちゃん。調子はどうだ? 顔色が悪いな。大丈夫か?」 真澄がマヤの頬に、そっと手で触れる。 「…速水さん。ごめんなさい。ドラマの撮影を止めてしまって…」 マヤは青白い顔で、小さく頭を下げる。 「そんなこと気にするな。紅天女の後継者になってから、休みも少なくて無理させてしまったようだ。今日は、ゆっくり休むといい」 「…ありがとうございます」 マヤは体調が悪いのを隠すように無理して微笑んだ。 そんなマヤに、真澄は眉根を寄せる。 長い間、彼女を近くで見ていなかったせいか結婚した時よりも、かなり痩せているようだった。 翌朝、真澄はいつもよりも遅めに出社することにした。 最近は、マヤの顔を見ないように朝早く出掛けていたからだ。 今日は、彼女が少しでも元気になった姿を見てから会社に行こうと思っていた。 しかし、マヤはいつまで経ってもダイニングルームに現れない。 使用人に聞いてみると、マヤは気分がすぐれないから食事はいらないという。 まだ調子が悪いのかと半ば心配で仕方がなかったのだが、真澄が仕事を休むわけにもいかず後ろ髪をひかれながら会社へと車を走らせた。 ![]() 真澄は仕事中、マヤが撮影現場に現れ順調に撮影をこなしたとの報告を受け安堵する。 朝、食事を断っていたから今日の撮影も休みになるかもしれないと思っていた。 しかし、彼女は女優としての仕事をしっかりとこなしている。 このドラマの収録が終われば、休みを作ってやるべきかもしれない。 この後のスケジュールは、紅天女の本公演の稽古が待っているのだが…。 それに彼女を主役にとテレビ、舞台に次から次へと話が飛び込んできている。 テレビの主演ドラマでは高視聴率が取れ、舞台では観客数の更新が続くほどの人気なのだ。 そして、今、撮影しているテレビドラマは、相手役が里美茂である。 最初この企画書に目を通した時、思わず握りつぶしそうになった。 恋愛をテーマにしたドラマであるのだが、内容がいただけない。 昔、恋人同士の二人が、それぞれの夢を追いかける為に違う道を選んで別れを告げた。 数年後の夏、偶然に再会した二人。 目には見えない糸で繋がっている二人は、互いの立場を尊重しつつも惹かれあう心を止めることが出来ない。 彼女は自分の夢への実現を前にして、彼への思いに悩み苦しむ。 暑い夏の夜に少しずつ距離を縮めた二人は、再び激しく恋に落ちる。 そして、彼女が最後に選ぶものは…。 まるで、今のマヤと里美の話ではないか!と思わず叫びそうになった。 違うとすれば主人公の女性が、別れてからも彼をずっと愛していて誰とも付き合っていなかったというところだろう。 マヤは、理由はどうであれ真澄と結婚しているのだ。 企画側は、昔の恋人同士である二人に高視聴率を期待しているらしい。 妻が昔の男と共演するからといって、社長は動じないと彼らは思っているようだ。 それが愛し合っている本当の妻であれば、動じることなど微塵もない。 しかし、二人は契約書で交わされた夫婦なのだ。 政略とはいえ、マヤが何を思って結婚し一緒に暮らしているのかはわからない。 少なくとも真澄のように、愛しているから側にいたいという気持ちでないことは間違いないのだから。 そんな二人の前に突然現れた里美。 この春、アメリカから帰国した里美は、俳優としてひとまわり大きく成長し日本で少しずつ活躍している。 青春スターの面影はなく、大人の魅力を漂わせる男性として女性週刊誌を賑わすほどの人気ぶりだ。 ドラマの内容が現実的なだけに、真澄の不安は確実に大きくなっていく。 マヤと里美は嫌いで別れた訳ではないのだ。 このドラマの撮影中に二人の仲が戻ることになれば、真澄はマヤを失うことになる。 契約書で繋がった関係が、本物の愛に勝てるわけがない。 マヤに懇願されれば、彼女の幸せを思えば、真澄が今の関係を続けるのは困難になるだろう。 企画書を手にした日から、真澄は忍び寄る脅威と闘っていた。 この関係を脅かしかねない存在の登場で、社長室での煙草の本数は急激に増えている。 また毎晩夜遅くまで行きつけのバーで酒を飲むようになり、真澄は日々、苛々を募らせていたのだった。 とにかく撮影中の里美とマヤの報告を受けることは欠かさない。 体調を崩したマヤのことも気がかりなのだ。 せめて朝だけでも一緒にいられるようにしようと、真澄は結婚当初の出社していた時間に出勤するよう心がけていた。 しかし、マヤの体調はなかなか治らず朝食時間に顔を見ることが出来ても、彼女は朝食を一口、二口、口にすると箸を置いてしまう。 「チビちゃん。どうしたんだ? 最近、食欲がなくて調子が悪いそうだが」 「な、何でもありません。寝てれば治りますから」 真澄が心配して優しく声をかけても素っ気無い返事しか返ってこず、彼女は目を合わせないように自分の部屋に戻ってしまう。 そんな状態が、かれこれ一週間続き、とうとう真澄は自らマヤを病院に連れて行く決心をする。 昔はテーブルいっぱいの料理を平らげるほどの大食いだった彼女が、ドラマの撮影中とはいえ、ここまで体調を崩すのはおかしいと真澄は考えていた。 ドラマや舞台が始まれば食事を抜いてしまうほど集中するマヤではあるが、今の彼女は食欲もなければ元気もない。 時々、吐き気の症状を訴えていると使用人達から聞いている。 最初は、ただの体調不調だと思っていた。 しかし、これまでのことを改めて見直してみると一つの答えが浮かび上がってきた。 それは、真澄にとって信じられない事実。 彼女の症状は、もしかして……!! ![]() 真澄は早々と仕事を切り上げ屋敷に帰ってきた。 ある答えが頭に浮かんでからというもの、仕事が手につかなかったのだ。 悪い予感に胸がしめつけられそうになる。 真っ先に確かめなければ落ち着くことも出来ない。 真澄は大股で歩き、マヤの部屋へと直行する。 軽くドアをノックし、マヤの返事を待たずに入ると後ろ手でドアを閉めた。 「チビちゃん。聞きたいことがある」 冷静に話をしようと入ったものの、真澄の口から出てきた声は低い威圧感のある声だった。 突然、部屋に入ってきた真澄にマヤは驚く。 体調が悪いこともありベッドに横になっていたのだ。 普段の真澄は用事があれば、マヤの返事を待ってからドアを開けるのに、今日の彼は切迫した表情で現れた。 「何ですか。速水さん。あたし、まだ調子が悪いんですけど…」 マヤは、ゆっくりとベッドから体を起こした。 真澄はマヤを見据えたまま、脳裏に浮かんだ疑問を少し躊躇いがちに震えそうになる声を押し隠して口にする。 「その調子のことだ。…まさかと思うが君。………妊娠しているのか?」 真澄の最後の言葉に、マヤの体はビクッと反応する。 「………」 真澄は否定して欲しいと心の中で叫んでいた。 目の前のマヤは目を逸らし、口をギュッと結んで何も言わない。 彼女の返事を待つ時間が永遠に感じられるほど長い。 真澄が痺れを切らして『答えてくれ』と叫びそうになった時、マヤが小さな声で呟いた。 「……はい」 真澄は、一瞬で目の前が真っ暗になる。 黒い塊が真澄の心を一気に覆いつくし、声を荒げさせた。 「ど、どういうことだ。君は俺と結婚しているんだぞ!! 政略結婚とはいえ、君は俺の妻なんだ。それがどういうことか分かっているのか?」 「……ええ。分かっています」 マヤは俯いたまま、しっかりとした声で答える。 いつにないマヤの落ち着いた声が、真澄を刺激する。 「何が分かっているんだ。俺は夫だが……君を…抱いていない。 相手は、誰なんだ!!」 真澄は、激しい嫉妬に気が狂いそうになる。 手段はどうであれ妻になった、愛する女が他の男と関係を持ち妊娠しているのだ。 しかし、マヤは口をギュッと閉じたまま何も言わない。 いつまでも無言のマヤに真澄は、さらに苛立ちを募らせる。 今すぐに相手を問いただし連れてきて殴り殺してやりたい。 真澄は手の色が変わるほど、ギュッと拳を握り締めていた。 そして、激しい怒りが渦巻く頭の中で、マヤに関わる男として最初に浮かんだのは里美茂。 真澄が一番危惧していた相手だ。 真澄は顔を歪め、苦しげに搾り出すようにその名前を口にする。 「まさか………里美なのか?」 真澄の口から出た里美の名前に、マヤは目を見開く。 一番最初に疑われるのは共演者だ。 このまま何も言わなければ、真澄は子供の父親を里美だと思い込み彼に対して何をしでかすかわからない。 それほど、目の前の真澄は怒り狂っていた。 眉間に深く皺を寄せ、敵意を剥き出しにした眼差しでマヤを睨みつけている。 普通の者ならば真澄の凄みに耐えられず、あっさりと口を割るだろう。 しかし、マヤはどうしても相手の名前を明かすことが出来ない。 今はただ否定するしかなかった。 「いいえ。里美さんではありません」 「じゃあ、誰なんだ!! 桜小路か?」 真澄は大声で叫んだ。 だんだんエスカレートしていく真澄にマヤは一瞬たじろぐが、ここで負けるわけにはいかない。 マヤは大きく息を吸い込み、真澄と向かい合う決意をする。 「違います! 二人とも関係ありません!!」 マヤは真澄をギュッと睨みつける。 大きく息を吸い込むと、落ち着いた声で話し出した。 「……あたしのお腹の中には、最愛の人の子供がいます。速水さんが何を言っても、絶対に、この子を産みます!」 マヤは子供を守るように両手をお腹に優しく添えた。 マヤの決意を込めた、その瞳の強さに今度は真澄がたじろぐ。 「だ、誰なんだ。……その、君の最愛の人は?」 真澄は力なく、問いかける。 マヤに、いつか好きな男が出来る日が、くることはわかっていた。 だが、政略とはいえ結婚している以上、軽はずみな行動をするとは思っていなかったのだ。 マヤは、一生口にする気がなかった胸の中に隠してきた熱い思いを一気に吐き出した。 「…あたしは、その人のことをずっと愛していました。でも…その人は、あたしのことを一度も女として愛してくれません。だから……。あたしは…愛する人の子供を授かることができて幸せです。後悔はしていません。それだけであたしは、これからも生きていけるから」 マヤは、その男に愛されたくて身を捧げたのか? それほど、その男を愛していると…。 マヤから聞かされたその事実に、真澄は打ちのめされた。 「俺は……君とは別れない。……君は俺と離婚して……その男と…結婚するつもりなんだろう?」 マヤの激しい思いを聞いた真澄の声は、苦しげで弱弱しい。 こんな真澄は今まで見たことがないとマヤは思う。 傷ついた目で見つめられ戸惑いながらも、マヤは小さく首を横に振る。 「速水さん。言ったはずです。あたしは、その人に愛されていないと」 「その男は、愛していないのに君を抱いたのか!!」 真澄は、思わず近くにあったテーブルを叩いていた。 「速水さんが、どう思おうと勝手ですが、あたしがその人の子供を授かったのは事実です。このことで、速水さんがあたしに離婚を突きつけても仕方がないと思います。あたしは覚悟が出来ていますから」 真澄はマヤが一度決めたことは、何がなんでもやり通す性格だと知っている。 彼女が、今、自分の意見に聞く耳を持たないこともわかっていた。 マヤから語られた真実を真澄は、受け止めるだけで精一杯だったのだ。 彼女の勢いに押された真澄は、マヤを手放したくないが為に小声で小さく抵抗するしかなかった。 「俺は、離婚しない…」 「すみません。もう調子が悪いので、今日はこの辺で出て行ってもらえますか?」 確かに顔色が悪くなりつつあるマヤを見て、これ以上話を続けるのは困難だと判断した真澄は引き下がることにした。 「あぁ。…すまなかった」 真澄は肩を落としながら、マヤの部屋を静かに出て行った。 そして、真澄は自室に入ると倒れこむように椅子に座って頭を抱え込んだ。 「どうして…こんなことになったんだ。俺の側に置いておけば、彼女に誰かが手を出すはずはないと思っていたのに……」 真澄は失ったものの大きさに気付き、声を詰まらせて静かに涙を流した。 2007年1月31日 |
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