「天使の贈り物」


第8話  誕生




三ヶ月に及ぶテレビドラマの収録が無事に終わり、マヤは長期休暇に入った。
真澄はマヤが妊娠している事を公にせず、今後のスケジュールを白紙に変更する。
体調を整える為と演劇の勉強をする為という名目で。
二度目の紅天女の本公演は、中止すると大都の広報を通じて発表した。
上演権を持つ主演女優の強い意志であり、次回の公演に向けて更なる飛躍を求め演技に磨きをかける為、一年後まで延期することが決定したことも伝えた。
幸いチケットは発売前だったので、大都は大きな損失を出さずに済んでいる。
しかし、マスコミは黙っていない。
マヤの長期休暇に対して真澄とマヤの不仲説を流し、その為に上演が出来ないのではという推測話に発展させると世間を騒がせ始めた。
真澄は本公演を中止する理由としてマヤの妊娠を公にするか迷っていたのだが、自分の子供ではないという思いから発表しなかったのだ。



真澄の中には、どす黒い塊が渦巻いていた。
夢の中でしか許されない真澄とは違い、現実でマヤの肌に触れ、全てを奪った男。
マヤを抱いた相手を見つけ出し、今すぐにでも殺してやりたいという衝動は消えることがない。
しかし、聖が言っていた手がかりで、証拠を掴むことは出来なかった。
申し訳ありませんと今にも土下座しそうな聖をなんとか止めることは出来たものの、真澄は無念でしかたなかったのだ。

それでも、マヤのお腹の中では新しい命がすくすくと育っている。
子供が生まれた時、心から祝福してやることができるだろうか?
彼女は言っていた。
最愛の人の子供を授かったと。
愛されてもいないのに、それでも愛する人の子供が欲しいと思うものだろうか?
家族のいない彼女に血の繋がった本当の家族が、もうすぐ生まれようとしている。
マヤの母親の命を奪った、母一人、子一人の家族を壊したのは、紛れもなく真澄だった。
今の自分は、マヤから再び家族を奪おうとしているのだろうか…。

真澄は、もうマヤを苦しめたくはなかった。
マヤが母の遺骨を抱え放心していた姿は、今でも忘れたことがない。
彼女が望んで決めたことだ。
書類上の夫である真澄は、口出しできる立場ではない。
これから、マヤがどう動くかはわからないが彼女の気持ちを尊重したい。
もし、マヤが真澄から離れたとしても、昔のように影からずっと彼女の幸せを見守り続けていこうと思った。








マヤが妊娠初期の不安定な時期に何とかスケジュールをこなし、ドラマの撮影を終えたのは数日前である。
それを見届けたようにタイミング良く、大都の広報からマヤの長期休暇が発表された。
しかし、本当の理由は公にされていない。
ワイドショー番組はマヤが長期休暇に入ったことで何が原因かを探し始めたが、大都がマスコミ各社に圧力をかけたことでこの話題は自然消滅する。
そのおかげでマヤが、マスコミに追われることはなくなり普通の生活を送ることができた。
真澄がマヤの為を思ってしてくれたことだとすぐにわかる。
昔から真澄は憎まれ口を叩きながらも、マヤのことを考えてくれていたのだ。

マヤは速水邸での暮らしに慣れてはきていたが、あれから真澄と顔を会わせた日は一日もなかった。
社長室で会ったのが最後である。
真澄は会社近くの彼が所有しているマンションで、寝泊りをするようになったからだ。
やはり真澄は怒っているのだろう。
マヤが妊娠した事を。
顔を見るのも嫌なのかもしれない。
政略結婚である事実が、ますますマヤを苦しめる。
唯一つの救いは、マヤの中で育つ新しい命が大きくなっていることだった。


季節は流れ春がすぐそこまでやってきた頃、出産予定日が近付いてきた。
自分で決めたこととはいえ、一人で出産しなくてはならないことにマヤは不安を覚える。
普通の妊婦は、旦那様が側にいて安心させてくれるのだけど…。
マヤの場合、旦那様と言っても書類上の人である。
母親を亡くしたマヤにとって、出産時に頼れる人はいなかった。

姉代わりの麗は地方公演に行っていて、いつ帰ってくるのかわからない。
麗がマヤの妊娠を知ったのは、長期休暇が発表された時だった。
紅天女の後継者として日本を代表する女優になったマヤが、一番乗っている時期に仕事を休むということが信じられなくて真相を聞きに来たのだ。
マヤが素直に話すと、麗に水臭いじゃないかと怒られた。
出来ることなら何でも力になるから必ず相談するようにと念を押され、時間を見つけては屋敷の方に顔を出してくれたのだ。
しかし、予定日間近になって東京を離れることになった時、マヤを心配して最後まで頑張るんだよと大きくなったお腹を撫でてくれた。

だけど父親は、マヤのお腹の子供が自分の子供だということを知らないのだ。
彼の子供が出来た時、マヤは嬉しかった。
心が触れ合うことは出来なくても、彼と繋がっていることは紛れもない事実なのだ。
彼に似ているといいのだけど…。
自分に似ていたら、さえない容姿に加え不器用な子になってしまう。
彼が自分を見てくれなくても、子供が彼に似ていれば抱きしめるだけで安心できるような気がする。
愛する人に向けられない愛を一心に子供に注ごうと、マヤはお腹を撫でながら毎日語りかけた。








それから数日後、マヤは産気付いた。
英介が迅速に手配したおかげで、マヤは人目につくことなく特別室に入院する。
勿論、マヤが大学病院で出産することは緘口令がしかれた。

そして、マヤの出産が間近であると真澄は知らされる。
あれから一度も屋敷には帰っていない自分に、英介の指示で連絡してきた朝倉。
彼の口から語られた病院名に驚きを隠すことは出来なかった。
なぜ、マヤは英介の息のかかった病院で出産するのか?
聖はマヤの通院している病院を掴むことは出来なかったと報告していた。
聖ほどの人間が調べられないはずはないのに…。
あの頃、相手の男のことばかり考えて何も見えていなかったのだ。
今回の件は全て英介が関わっていることに、ようやく気が付く。


真澄は迷っていた。
マヤの出産に立ち会うべきかどうかを。
マヤとは社長室で仕事を休業する話をしてから会っていなかった。
会えば嫉妬から言いたくない事を言うに違いない。
妊婦のマヤにストレスを与えたくはなかった。
だから、真澄は紫織との結婚前に自分の居場所を確保する為に、購入していたプライベートマンションに一人で住むことにしたのだ。



速水家からの電話を受け、社長室でそわそわしている真澄の姿を見つけた水城は、彼の背中を押すことにした。

「真澄様。そんなに心配なら病院に行かれてはどうですか?」

「…水城君。俺は何も心配などしていない」

どこまでもお見通しの水城に、真澄は平静を装う。

水城は、そんな真澄の態度に呆れる。
真澄は全く素直でない。
英介に育てられた所為か、かなり捻くれている。
しかし、本人は気付いていないのだろう。
マヤのことをどれだけ心配しているかが、顔や態度に表れているということを。
意地を張って冷静な表情を作ってはいるが、心ここにあらずなのだ。
そんな真澄に水城は、ついついおせっかいをやいてしまう。


「そうでしょうか。真澄様の手に持たれているお煙草、逆向きですわよ」

「えっ?」

真澄が自分の手を見ると、吸い口に火を点けようとしている。
水城の指摘に真澄は、どれだけ自分が何も手につかない状態であるかを認めるしかなく項垂れた。

「マヤちゃん。家族がいないのに、一人で出産しようとしているのですよ。
初めての体験ですから不安でいっぱいだと思いますわ。普通は旦那様が側についてあげるものですからね」

「お、俺達は、政略結婚なんだ。…それに、マヤのお腹の中にいる子は……」

真澄は、肝心な所で言葉が続かずに口篭ってしまい足元に視線を落とす。


水城は真澄が言い淀むことは予想通りの反応で、軽く口角を上げた。

「真澄様の子供ではない、と言い切れますか?」

「当たり前だ。俺はマヤを抱いていない!!」

真澄は熱り立ち、水城に言うことではないと分かっていながらも本音を吐いてしまう。

「子供は、何も抱けば出来るという訳ではないでしょう。他にもいろいろな手段がありましてよ」

水城の言葉に真澄は唖然とする。

「……ど、どういう意味だ?」

「それは、真澄様自身が考えられることですわ」

水城はあえて答えを教えず、真実は自分で見つけるように促した。

「マヤのお腹の子供が……俺の子かもしれないということか?」

「それは、私にもわかりません。マヤさんに直接お聞きになられたら如何です? それより早く行ってさしあげないと、生まれてしまうかもしれませんわ」

水城に促され時計を見ると連絡を受けてから、かなりの時間が経っていることに気付く。
どちらにしろ、今の状態では仕事にならない。
それなら、ここに居ても仕方がないと観念する。

「わかった。とりあえず、病院に行ってくる。この後の仕事は全てキャンセルしてくれ」

「はい。わかりました。マヤちゃんによろしくお伝えください」

真澄は小さく頷き、机の上を素早く片付けると上着を手に持ち社長室を飛び出す。


真澄は病院へと車を走らせながら、水城の言葉の意味を考えていた。

「他の手段…」

真澄の中で子供が出来るのは、男女の営みだけしか考えていなかった。
しかし、よく考えてみれば他の手段もあったのだ。
だが、あの奥手のマヤが、そこまでして子供を欲しいと思ったのだろうか?
それに他の手段であれば、真澄の子供である可能性もあると水城は仄めかしていた。
そんなことあるわけが無いのだが……。
どちらにしろ、今は一刻も早くマヤの側に行きたかった。
肉親を亡くし、一人ぼっちのマヤが母親になる為にたたかっている。
何の力にもなれないが、マヤの側にいて支えてやりたいと思った。
たとえ、マヤに嫌われていても心細いだろう彼女を見守ってやることにした。








真澄は病院に着くと、受付で産婦人科病棟を尋ねた。
大学病院はとにかく広い。
いくつも連なる病棟の廊下を真澄は急ぎ足で歩く。
こうしている間にも生まれるのではないだろうかという苛立ちから舌打ちしてしまう。
そんな真澄が、ようやく目的の病棟に到着すると廊下の先では、マヤがちょうど分娩室に入るところだった。


「マヤ!」

真澄は、思わず彼女の名前を呼んだ。

呼ばれたほうを振り返ったマヤは、目を見開く。
社長室で言葉を交わしたあの日から、真澄を見るのは初めてだった。
思わずマヤは自分の目を疑う。

「…は、はやみさん?」

「大丈夫か?」

思いがけないほど優しい真澄の声が、マヤの初めての出産への不安を取り除く。
マヤは穏やかな気持ちになり、陣痛の痛みをこらえながら微笑んだ。

「はい。…もうすぐ、生まれそうなの」

マヤの側に慌てて駆け寄ってきた真澄に、看護師は声をかける。

「お父さんですか?」

「えっ?」

思いもよらない言葉をかけられ、真澄は戸惑う。
慌ててマヤの側に来た真澄を当然のように子供の父親だと思いこんだ看護師は、そのまま言葉を繋いだ。

「出産に立ち会われますか?」

少し考えた真澄は、真剣な顔になると落ち着いた声で答えた。

「………ええ。彼女さえ良ければ立ち会わせてください」

真澄の瞳は力強くマヤを見つめている。

マヤは、真澄が自分の意思で立会いを望んでくれたことが嬉しかった。
昔から真澄は、そうだったのだ。
マヤがどんな時でも、真澄は手を差し伸べ助けてくれていたのを思い出す。

「速水さん。…お願いします」

マヤは真澄の目を見つめたまま返事した。



マヤの懇願を受け、真澄は立会い出産に臨む。
分娩室に入ると、真澄は手を消毒しガウンを着せられた。
その間にマヤは分娩台に上がり、心電図モニターを取り付けられる。
大きく脚を広げたマヤの姿に、真澄は激しく動揺する。
夫婦とはいえマヤの身体をまともに見たことがない真澄にとって、その姿はあまりにも強烈だった。
真澄とて今までに多くの女性と関係を持ち、脚を開いた女性の姿など当たり前のように何度となく見てきたことなのだが、それが長い間片思いをしながら見守ってきた、恋焦がれた女性の姿となると目のやり場に困ってしまう。
真澄は慌てて目を逸らすと、陣痛に耐えるマヤの苦しそうな顔を見つめる。
そして、マヤの手を握ると声をかけた。

「俺がずっと側に居てやる。だから、頑張るんだ」

「ありがとう。…はやみさん」

陣痛の波が短くなり、マヤは母親学級で覚えた呼吸法を繰り返す。
子宮口が最大に開き赤ちゃんの頭が見えはじめると、看護師や医師が波に合わせていきむように声を出す。

真澄は子供が誕生する現場を必死で見守っていた。
マヤの手をギュッと握り、もう一方の手で額の汗を拭ってやりながら、ひたすら「頑張れ」と声をかけて。

「オギャァーー」

大きな産声と共に元気な女の子の赤ちゃんが誕生した。


真澄はマヤの頭を撫でてやりながら褒めてやる。

「マヤ。よく頑張ったな。女の子だよ」

「…はやみさん、最後まで…側にいてくれて……ありがとう」

マヤは、うっすらと涙を浮かべて呟く。

「いいんだ。それよりゆっくりと休むといい」

真澄は自分に気を遣うマヤに優しく声をかけた。
マヤが小さく頷く。
たった今、母親になったマヤは、とても美しく真澄は目が眩みそうになる。

「…この…は……はや…さ………です」

「なんだ?」

マヤの途切れ途切れの言葉が聞こえずに真澄は聞き返したが、マヤはそのまま気を失う。
出産への不安や緊張で神経を張り詰めていたのだろう。
無事に出産が終わり安心したようだ。

助産婦が赤ちゃんの体や頭を手際よく拭き、生まれたばかりの女の子を真っ白なタオルで包んでいた。

「お父さん、抱っこしてあげてください」

助産婦が真澄のところへ赤ちゃんを連れてきた。
真澄は、壊れ物のような小さな赤ちゃんを恐る恐るこの手に優しく抱きかかえる。
生まれたばかりの赤ん坊を抱くのは初めてだ。
柔らかくて、とても軽い。
たった今、この世に生を受けた小さな命。
真澄はマヤの娘の顔を間近で見て、ふと懐かしさが甦る。
泣き顔がマヤにそっくりなのだ。
そんな所まで似るのだなと、真澄は口元を緩めた。
すると、先程まで大きな声で泣いていた赤ちゃんが、ピタリと泣き止む。
真澄の腕の中は居心地がいいのか、すやすやと眠りはじめた。
穢れのない清らかな表情は、まるで天使のようだ。
真っ赤な顔をして、小さな手はギュッと握り締められている。
その愛しさに真澄の心は癒された。



マヤが後処置の為、真澄は部屋を出ることになった。
廊下に出ると備え付けの椅子に腰を下ろす。
そこで、ようやく真澄は安堵する。
新しい命の誕生に出会い、女性の素晴らしさを目の当たりにした。
真澄は、女性が母親となり強くなる理由がわかった気がする。
そして、マヤが産んだ子供に対してわだかまった気持ちは、すっかりと消えていた。
子供に罪はない。
それに、マヤに何があろうと愛している気持ちは変わらないということに気付く。
誰の子供であったとしても、二人の子供として育てようと真澄は深く心に誓った。




2007年 4月26日



…to be continued







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