「天使の贈り物」


第9話  真実




気持ちを入れ替えた真澄は、先にマヤの部屋に戻り彼女を待つことにした。
ドアを開け中に入ると、英介が部屋におり真澄はギョッとする。
英介は窓際で静かに外を眺めていた。

「お、お義父さん。…どうして、ここに?」

「速水の嫁が産気づいたのに、のんびりと家に居れる訳がなかろう」

英介は真澄の方へと体を向けると顰め面で答える。

真澄は英介の答えに納得がいかず怪訝そうな顔で問いかけた。

「ずっと、ここにいらしたのですか?」

「ああ。それで、生まれたのか?」

「ええ。元気な女の子です」

「そうか。跡取り息子というわけにはいかなかったようだな。まあよい。
女優という道もある。これで、お前も晴れて父親になったわけだ」


真澄は英介の言葉に耳を疑う。
看護師が、あの状況で真澄を父親だと勘違いしたのは仕方がない。
しかし、何故、英介がそんな事を言う?
冗談でも聞き流せない話に、真澄は表情を硬くすると反論する。

「何を言うんですか。マヤが産んだ子供は俺の子では……」

真澄の言葉を英介は強い口調で遮った。

「真澄。お前の子供だ。間違いない」

英介に断言された真澄は眉を顰めた。
得体の知れない不安が真澄の足元から忍び寄る。

「…僕の子供? ど、どうして…お義父さんが、そう言いきれるのですか? やはりマヤの妊娠に、お義父さんが絡んでいたのですね?」

不安な気持ちを押し隠すように口に出した言葉は僅かに震えていた。


「絡んでいたとは人聞きが悪いな。儂はマヤさんに聞かれたんじゃ。お前の子供を産んでもいいかとな」

「な、何ですって!!」

英介の話に真澄は目を見開き仰天する。
真澄は、ここが病院の病室であることを忘れるほど驚き叫んでいた。


「マヤさんは、お前には黙って欲しいと言っていた。
だから儂は知らぬ振りを決めこんだだけじゃよ」

「…な、なぜ…そんなことを……」

真澄は真っ青になりながらかろうじて言葉を繋ぐ。

「お前に迷惑がかかると思ったのだろうな。あの子らしい」


英介は事実を受け止められない真澄に鋭い視線を向けた。

「儂が言ったことを覚えているか? 跡取りを作れと言ったのを。
その直後らしいぞ。お前は、無意識のうちにマヤさんを求めたのだろう。
自分が抱いた女のことを覚えていないのか?」

真澄は激しく動揺していて、とても頭の中で考えられる余裕がなかった。
ただ事実を確認する為に震える声で英介に問いかける。

「……求めた?……抱いた? 僕に…身に覚えはありません。
本当に…あの子は…僕の子を妊娠したんですか?」

真澄にマヤを抱いた記憶はない。
夢の中でなら何度も彼女を抱いている。
その夢が現実だったとでもいうのだろうか?
いつの日からか彼女の裸体が鮮明に浮かぶようにはなっていたが、マヤ本人を抱いたからだったのか?
わからない。
真澄は本当に彼女の肌に触れたのかと、自分の手をジッと見つめた。

「一つだけ言えることは、あの子は望んでお前の子供を産んだということだ」

「う、嘘だ!……そんな話、信じられない」

真澄は目を瞑ると、首を左右に振り掠れた声で呟く。


「なら、教えてやろう。儂がマヤさんから聞いた全てを」

英介は真澄から視線を外し、再び窓の外に目をやると静かに話し出した。

「儂がお前にマヤさんを抱いて子供を作れと言ってから2ヶ月後のことだ。お前の様子を伺っていたが、結局お前は動かなかった。だから儂はお前が会社に行っている間に、マヤさんを呼び出したんじゃ」








「マヤさん、あんたに頼みがあるんだが」

「何でしょうか、速水会長」

マヤは英介の部屋に呼び出されいささか緊張していた。
真澄の義父とはいえ、大都の会長である。

「速水会長か。やはり政略結婚した男の義父を、お義父さんと呼ぶことは出来ないようだな」

「いえ、そんなつもりは…」

マヤは英介の指摘に焦り、慌てて否定する。
結婚して速水の屋敷で生活している以上、英介をお義父さんと呼ぶのは、ごく普通のことである。
ただ、紙の上だけの結婚である今の状態で、マヤはそう呼ぶことが出来なかったのだ。


英介は、そんなマヤを気にすることなく無愛想な表情のまま言い放つ。

「まあいい。話は簡単だ。真澄の子供を産んで欲しい」

「えっ!?」

マヤは目を丸くして驚く。

マヤの反応が予想通りで英介は苦笑する。

「そう驚くことでもあるまい。あんたと真澄は歴とした夫婦なんだ」

「……でも、あたしたちは政略結婚ですから、速水さんとそんな関係じゃ…」

マヤは自分が口にしたにもかかわらず、気まずい雰囲気になったことで英介から目を逸らした。

そんなことはとっくにお見通しの英介は、全く気にすることなく淡々と話を続ける。

「いつまでもそうやって偽りの夫婦を演じるつもりか。子供も作らずに」

「それは……」

英介の指摘にマヤは言葉を詰まらせる。


英介はキッと眉を上げると厳しい顔つきになり、どすの利いた声を出す。

「あんたは真澄の立場を分かっているのか? あいつは、いつまでも大都芸能社長をやる器ではない。いずれは大都グループの総帥になる男だ。その男が結婚したものの跡取りが出来なければ世間の笑い者だぞ。
それでもいいと思うのか?」

「……いいえ」

マヤは俯くと小さく首を横に振った。

「あんたにその気がないのなら、真澄に女を充てがうつもりだ。
勿論、跡取りを産んでくれる女だ」

「………」

マヤは俯き唇を噛み締める。

「どうする? あんたの返事次第だ」

英介は挑発するようにマヤに返事を促した。


マヤの中で激しい嫉妬が沸き起こる。
真澄に女を充てがう、その言葉がマヤの真澄への思いに火をつけた。
マヤは拳を握り締め顔を上げると、ある一つの決意を胸に英介に毅然とした態度でぶつかった。


「会長。…もし、あたしのお腹の中に速水さんの子供がいるとしたら……本当に産んでもいいですか?」

「な、なに!? まさか…あんたのお腹に真澄の子供がいるのか?」

英介は目を見開き、車椅子から立ち上がらんばかりの勢いでマヤに確かめる。

「……はい」

英介は息を呑んだ。

「……いつの間に。何ヶ月だ?」

「…たぶん、2ヶ月くらいです」

「…2ヶ月。…真澄は知っているのか?」

マヤの意外にも落ち着いた返事に、英介は冷静に話を聞き状況を把握しようとした。


「……いいえ。速水さんは覚えていませんから…」

「どういうことだ?」

英介は訝しそうな目つきでマヤを見る。


マヤは、その視線に耐えられず英介から目を逸らし、視線を足元に落としたまま話し出した。

「2ヶ月ほど前のことです。舞台の稽古で帰ってきたのが深夜でした。その日、速水さんとちょうど玄関で鉢合わせになって。速水さん、かなりお酒を飲んでいたみたいで泥酔していたんです。心配だったから部屋まで付き添ったんですけど、速水さんがあたしを押し倒して……。その後、速水さんは眠ってしまって。あたしは、すぐに自分の部屋に戻りました。次の朝、速水さんは頭を押さえて昨日は飲みすぎたみたいだ、何も覚えていないって、言ったんです」

「あいつは酔った勢いで、あんたを抱いたと言うんじゃな」

英介は、いささか呆れながら口にした。

「……はい。だから、速水さんは、あたしとのことは覚えていません」

どんな形であれ、初めての相手が真澄であって良かったとマヤは心から思う。
だけど、真澄が覚えていないという事実は、マヤの心を虚しくし苦しめていた。


英介はマヤの話をすぐには信じることが出来ない。

「それは、本当のことか? 真澄以外の男とも考えられるだろう?」

「あ、あたしは、速水さん以外の人に抱かれたことなんてありません!!」

マヤは剥きになって大声で否定した。

顔を真っ赤にし、くそ真面目に否定するマヤに、英介は腹を抱えて笑う。

「くっくっくっ……すまん。正直な所、驚いておるんじゃ。真澄は、あんたを抱かないと言っていたからな。だから儂は、あんたに体外受精をしてもらおうかと思っていたんじゃ」

「………体外受精?」

マヤは不思議そうに首をかしげ問いかける。

「あぁ。この前、真澄の精子を検査する時に抜き取った分を保存していたんじゃ。あんたも嫌いな真澄に抱かれるより、体外受精で妊娠した方がいいだろうと思ってな。その話をする為にあんたを呼び出したんだが……。まさか、もう妊娠しているとは思わなんだ。おかげで手間が省けたわい。これで大都も安泰だ」


英介から体外受精の話を持ちかけられると思っていなかったマヤは愕然とする。
真澄の子供を産んでくれと言われ最初は驚いたが、その先の話がこんな展開になるとは全く思っていなかった。
もし、真澄との一夜がなければ、英介の提案を引き受けるしかなかっただろう。
たまたま、たった一夜の出来事で授かった、愛する人の子供。
マヤ自身が妊娠に気付いたのは、先日のことだ。
生理が遅れ、まさかと思い薬局で妊娠検査薬を購入し確かめたのだから。

愛する人との子供は出来れば欲しいと思っていた。
マヤの中では二人の思いが通じ合い結ばれてから、愛し合って授かるものだと考えていたのだけれど…。
しかし、突然おとずれた試練。
妊娠が発覚して、これからどうしたらいいのか悩んでいたのだ。
真澄の子供を産みたいマヤと、次期後継者として真澄の子供が欲しい英介の利害関係は一致する。

ただ真澄の子供をどんな手段であれ欲しいと願う英介の考えには絶望した。
本当に、この子を産んでもいいのだろうか?
跡継ぎとして利用されて辛い思いをするかもしれない。
だけど、それを拒否したら、この子の命は奪われてしまうかもしれない。
それに真澄に一生愛されることはない。
真澄の子供を産むことが出来るのは今回限りだろう。
それなら自分が、この子を守ろう。
誰に何を言われても、真澄との子供だけは守ってみせる。
それが今のマヤに出来る精一杯のことだ。
マヤは拳をギュッと握り締め、英介に再び確認した。


「本当に産んでもいいですか?」

「ああ。あんたがその気でいてくれてよかったよ」

「では、お願いがあります。あたしは、何があってもこの子を産みます。でも、速水さんには言わないでください」

マヤは英介の返事に覚悟を決めると、ハッキリとした声で答えた。

「なぜじゃ?」

英介は片眉を上げる。

「速水さんは覚えていないからです。それに結婚する前の話ですが、好きな人がいると話してくれました。夫婦とは名ばかりで、政略結婚で妻の座にいるあたしに子供が出来たと知れば、速水さんの重荷になると思います。だから…」

「あんたは、それでいいのか?」

「はい。あたしは天涯孤独の身で頼れる人はいません。だから会長の力を貸していただきたいのです。女優であるあたしの妊娠を隠し通せるような病院を紹介していただけませんか?」

英介は自分を見つめるマヤの瞳の力強さに、彼女の覚悟が本物であることを感じ取った。

「それくらいお安い御用だ。儂の主治医の大学病院に行くといい。屋敷の車で通院すれば、儂が通院しているように見えるだろう。カモフラージュになる」

「ありがとうございます」

マヤは小さく頭を下げた。

「だが、いずれ真澄にもわかるのではないか? 一緒に暮らしているのだから」

「そうですね。でも、自分の子供だとは気づかないと思います。それに私の妊娠がわかったところで、速水さんには興味がないことですよ。きっと…」

マヤは寂しそうに微笑むと目を伏せた。


「わかった。病院の方には、儂から連絡しておく。まだ正式な検査をしておらんのだろう。数日中に、あんたが診てもらえるように手配しておこう。あんたが物分りの良い娘でよかったよ。その日は、また知らせる」

「はい。わかりました」

マヤは英介の目を見つめたまま返事をする。
その瞳に迷いはなかった。

英介はマヤが了承したことに納得すると口元を緩めた。

「……よろしくお願いします」

マヤは英介に深々と頭を下げ部屋を出て行った。








真澄は英介からマヤとの経緯を聞かされ一点を見つめたまま呆然と立ちつくしていた。

英介は再び真澄の方へ体を向ける。

「今だから言うが儂がマヤさんに頼んだことは、お前が紫織さんとの結婚をやめた腹いせみたいなもんだった。結局、必要はなかったがな」

「なっ!」

「だがな、あの子は儂に懇願したんじゃ。お前には言わないで欲しい、必ず子供は産むから、このことが世間に知られないように助けて欲しいと。
儂は、あの子がまだ紅天女を目指していた頃、何度か素性を隠して会ったことがある。その時に儂ら親子のことを散々けなしおってな。
そのゴキブリの義父が目の前にいるのも知らずに。
そんなあの子を知っていたから、お前の子供を産んでもいいかと聞かれた時は本当に驚いた。それから、しばらくして気付いたんじゃよ。
あの子の気持ちに。お前は聖を使ってマヤさんのことを調べさせていただろう。聖が儂に確かめに来た時、真実は時が来れば話すからこれ以上は詮索するなと命令した。今は、これで良かったのかわからない。
あの子なりに今日まで隠してきたことだ。悩み苦しんだと思っている。
うちの馬鹿息子が臆病で鈍感なばかりに…」

英介は苦笑する。

「真澄よ。いい加減に気付いたらどうだ。儂が思うにマヤさんは、お前のことが好きだと思うぞ」

英介の言葉に真澄は我に返った。
そして一気に顔が真っ赤になる。
それを誤魔化すように慌てて否定の言葉を並べた。

「な、何を言うんです。僕達は政略結婚しただけの夫婦です。そ、そんな感情がある訳がない」

慌てた真澄の様子に英介は可笑しくなる。
感情を押し殺すように生きてきた真澄が、11も年下の女のことになると冷静でいられないのだ。
こんな真澄の顔を拝めるような日が来るとは思わなかった。
英介は笑いを押し殺し、綻びそうになる顔を必死でこらえる。

「それは、お前が勝手にそう思い込んでおるだけであろう。マヤさんが酔っ払っていたとはいえ嫌いな男に抱かれ、その子供を産むと思うか? 昔からあの子は、嫌いなものは嫌いだと主張していたではないか。本当に嫌いなら、いつまでもあの家に住んではいないだろうし、お前の子供も産まなかったはずだ」

「それは……」

英介の言うことは一理あり、真澄は言葉を詰まらせる。

困惑した表情を見せる真澄に英介は呆れながら、まだ迷いのある息子の背中を押す。

「長い間、あの子を見てきたお前がそんなことにも気付かぬとは。やっぱり朴念仁だな。この際だから、マヤさんが戻ってきたら二人でゆっくりと話し合うことだ。そうすれば真実が見えてくるかもしれん」

「…わかりました。彼女に聞いてみます」

英介は頷くと再び厳しい表情を真澄に向ける。

「最後に、ひとつだけ言わせてもらう。儂は早くあの子に幸せになって欲しい。この後、マヤさんと話をしてあの子の気持ちがわかった時だ。
マヤさんとお前達二人の子供を守っていく覚悟が、お前にはあるのか?」

真澄は背筋を伸ばし姿勢を正すと、今日初めて力強い瞳で英介を見た。

「僕は、ずっと自分の手で彼女を幸せにしたいと願ってきました。
しかし、僕は彼女の母親を死なせてしまった…。唯一の肉親を奪った僕を彼女が許すはずはないと思っていました。ですが、今日、彼女の出産に立ち会って、僕は彼女も子供も幸せにしたいと心から思いました。覚悟は出来ています。彼女が僕を受け入れてくれるなら一生をかけて、マヤも子供も守っていきます」

「それを聞いて安心した。二人が帰ってきたら屋敷も賑やかになるな」

英介は車椅子を動かしながら、ドアの前で立ち尽くす真澄にようやく笑顔を向ける。
新生児室へ立ち寄り子供の顔を見た英介は、無事に生まれたことに安心して屋敷へと帰って行った。


真澄は英介が部屋を出た後、備え付けのソファにドスンと座り込む。
マヤが出産間近だと連絡を受けてから、ずっと神経を張り詰めていたのだ。
マヤの出産に立会い、英介の話を聞いた今、真澄の身体にどっと疲れが押し寄せる。
今日、一日であまりにもいろいろなことを知ってしまった。
それはマヤの妊娠が発覚し、もう何ヶ月も悩み苦しんで神経を磨り減らしてきた真澄が気を失う瞬間だった。




2007年 5月24日



…to be continued







* back * * index * * next *