Whirlwind



(原案・設定・構想)
Aileen・kujidon・shima・瑠衣



第2話  Part1   HR編   





始業式の初HRで、失態をやらかしてしまったマヤ。
後悔なんて一言で片付けられるほど、生半可なものではなかった。
足元がグラグラと揺れ、まるで崩れ落ちる感覚。
ほんの少しの自信ですら、何処かへ追いやられてしまった。
いくら緊張していたとはいえ、講堂の舞台の上での転倒。
生徒達の失笑が耳から離れない。

(あの時・・・確か右手と右足が一緒に出てたっけ・・・)

左下がりの、しかも手が震え、ミミズが這ったような字で書いた“北鳥マヤ”

(今時、幼稚園の子だって自分の名前くらい、漢字できっちり書けるっていう
のに・・・)

マヤは頭を抱えたまま、職員室の自分の机で唸っていた。
今更、悩んだところで時間は元には戻らない。
それは充分判っているが、それでもやはり、後悔の二文字が頭の中を駆け
巡る。

(どうしてもっと、落ち着いて歩かなかったの?)

(もしや、無理して履いたハイヒールのせい?)

(自分の足元もおぼつかないなんて・・・これで生徒達を指導していけるの?)

考えれば考えるほど、後悔の渦は大きく勢いを増していくだけ。

(あ〜ぁ、あたしって、いったいなにしてんだろ・・・)

そんな苦悩するマヤの頭を、ぽんぽんと叩くもの。
リズミカルに叩き続ける、目の端に映ったそれは、出席簿だった。
慌てて突っ伏していた机から顔を上げる。
「うわぁ!!速水先生!!」
そこには憮然とした表情の速水が立っていた。
「なにが“うわぁ!!”だ。予鈴はとっくに鳴ったんだがね」
「は、はい・・・すみません」
消え入るような声を、それでも懸命に絞り出す。
「昨日も言った筈だ。いつまでも学生気分では困る。もっとしっかりしてくれ」
「すみません・・・」
反論のしようもないマヤは、まったくもって身の置き所がない。
そんな彼女の様子を、速水はまるで実験動物でも見るような冷ややかな目
で見下ろしていた。
「HRが終ったら、休憩を挟んですぐに1限目が始まる。君はそれが分かって
いるのか」
「えっ?」
「授業の準備はできているのか?と訊いているんだ。1限目は君の担任であ
るB組だろう?」
「あっ、はい・・・なんとか・・・」
速水の低い声色に、マヤは益々萎縮していく。
それでもやっとのことで、教師用の教科書と資料を、速水の前に差し出すこ
とが出来た。
その途端、彼はより冷徹な視線をマヤに浴びせた。
「俺が言っているのは、授業の下準備のことなんだがね、北島センセ。今日
の授業の流れを、自分自身で把握しているのか?」
「・・・あの・・・それも多分、大丈夫だと・・・」
その視線に、まるで射抜かれたように身動き一つできなくなるマヤ。
「まともな返事もできないとは。大学で一からやり直したほうがいいんじゃな
いか?」
冷笑を浮かべたまま、速水はマヤに追い討ちをかける。
「いや、それとも高校からにするか?この学園の生徒に混じっても、違和感
なさそうだしな・・・」
彼の最後の一言に、俯き黙って聞いていたマヤも、流石にカッと頭に血が
昇った。
「速水先生!!いくらなんでも・・・」
言いすぎでしょう?という彼女の言葉は、そのまま途切れた。
軽やかな身のこなしで、スタスタと職員室を出て行く速水の姿が、マヤの目
に映ったからだ。
彼女は、彼のその姿が完全に見えなくなるまで、呆然と見送っていた。
やがて他の教員までもが、各々の教室に向かっていったのに気づくと、彼女
は慌てて職員室を後にした。





「きゃっ、速水先生だわ」
長身で、颯爽と廊下を闊歩する速水に、女生徒からの熱い視線が送られた。
「君たち、さっさと教室に入りなさい」
女生徒たちに一瞥を投げると、速水は自分が担任をしている2年C組に向か
う。
「あのクールなところがいいのよねぇー」
彼女らは注意されたことなど念頭に無い。
速水に声を掛けられたことのほうが、よっぽど重要であった。
いつまでも騒がしく、一向に教室に入らない女生徒たち。
速水は振り返り、ジロリと睨みつけた。
一斉に黄色い声を発する女生徒。

まったく・・・

朝から何故かイライラする。

北島マヤについてもそうだ。
たかだか新任の教師。
水城主任に頼まれたから、こうして気に掛けてやっているだけだ。
しかもあんなに頼りない、まるで少女のような風情の彼女。
昨今の女子高校生の方が、よっぽど大人に見える。
そう、これからも今朝同様、手厳しく接していけばいいだけだ。

だが・・・

このもやもやした思いは?

どこかで手を差し伸べたい気持ち、そして相反する行動を取ろうとする自分。
そんな自分が確かに存在することも、また事実だった。
そして、その矛盾した感情が、益々彼を苛立たせる。


幾人もの新任教師を見てきた。
その中で、さほど気に掛かる人間も、気に触る人間もいなかった。
今までの彼らは全て同じに見え、速水の関心を引くことはなかったのだ。
淡々と、時には冷徹に周りに接する速水。
いつの間にか、彼は陰で“冷血漢”と呼ばれるようになっていった。
それ自体は速水の意に関したことではない。
なのに、彼に叱責され俯く彼女の姿に、心の何処かが軋んだ。

(まったく、俺らしくもない)

HRに続き、1限目はB組が彼女の初授業だ。
昨日の失態。
隣から聞こえた、生徒たちの大爆笑。
多分、教室でも何かやらかしたのだろう。
何処かで微笑ましいと感じる反面、微かに過ぎる形容し難い感情。
本来ならHRに必要なものは出席簿だけ。
それでも彼女の初授業に、少しでも不備がないようにと、ついつい口調もき
つくなった。
前もって用意しておくことが、心を落ち着かせる手段の一つだからだ。

(本当に、大丈夫なのか?)

だが、自分が担任でもあるC組の教室の前に立った刹那。
そんな温かな感情も、結果的には蓋をする形となる。
速水は、再び冷徹な教師の顔に戻り、教室へと入っていった。





速水に遅れること僅か、マヤは担任となった2年B組の教室の前で、じっと
佇んでいた。
教室からは、ざわめきが漏れている。
昨日とは大違いだった。
どこの教室より、このB組が一番騒がしい。

“生徒になめられたらお終いよ。最初が肝心。わかった?”

教育実習で世話になった、女性教諭の言葉が鮮やかに蘇る。
おどおどとして、頼りないマヤを心配しての一言だったのだろう。
だが、今はその言葉がやけに重い。
マヤの夢は、生徒と心が通じ合える教師であった。
頭から押さえつけることなど、したくはない。
でも、もしも信頼関係を築く前に、生徒たちからそっぽを向かれたら?

マヤは教師になって初めて“生徒の目”が怖いと思った。

それでも意を決して、教室の扉をガラっと威勢良く開けた。
「おはようございます!!」
殊更、元気を出すように大きな声で挨拶をしたマヤだった。
生徒たちの顔を見渡し、ゆっくりと教壇まで移動する彼女。
が・・・着任式と同様、今度は教壇にある段差でつまづいてしまった。
一瞬、静まり返った教室。
かろうじて持ちこたえ転倒は免れたが、次の瞬間、教室内に爆笑の渦が巻
き起こる。
真っ赤な顔をしながらも体勢を整えたマヤは、改めて教壇に立ったが、まっ
たく身の置き所がなかった。
自分が次にしなければならないことすら、頭から吹っ飛んでいた。

(あ・・・出席・・・)

出席簿を探すが・・・なかった。

(うわぁ・・・忘れてきちゃった・・・)

「ゴメンなさい。出席簿を忘れてしまいました。取りに戻りますので、それま
で・・・」
「先生、今日は欠席者は誰もいませんよ」
一人の男子生徒が、慌てて教室を出ようとするマヤを呼び止めた。
振り向くと、はっと息を呑むほど麗しい顔付きをした男子生徒が、起立した
状態でマヤを見つめていた。
「あ・・・あなたは?」
「僕は・・・真島良です。先生、欠席者はいません。わざわざ職員室まで戻る
必要はありませんよ」
彼はにっこりと微笑むと、その体勢のまま他の生徒たちを振り返る。
「みんなも笑ったりしたらダメだよ。北島先生は緊張しているんだ、僕らで
フォローしてあげなくては・・・」
真島の言葉に生徒たちは顔を見合わせ、教室内は静寂に包まれた。
昨日、マヤが初めてここに足を踏み入れた時と同じく。

(真島・・・良くん)

そういえば・・・
水城主任の言葉を思い出した。

「あなたのクラスの真島くん。彼はキー・パーソンよ。昨年度、1年生だった
時も真島くんはクラスのリーダー的存在だった。多分、このクラスでもそうな
るでしょうね」

担任教師より信頼を集める生徒。
「ありがとう・・・真島くん」
マヤは唇を噛みしめ、それでも何とか応えた。


結局、打ち砕かれた気持ちのまま伝達事項のみを事務的に伝えると、すご
すごと教室を後にするしかないマヤだった。







<第2話 Part1  END>





2006年01月12日  written by Aileen






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