Whirlwind



(原案・設定・構想)
Aileen・kujidon・shima・瑠衣



第2話 Part2   波乱の初授業





失敗を重ねたマヤは、失意と共に一旦職員室に戻った。
10分の休憩を挟んで、とうとう自分の生徒を前にした初めての授業が始ま
る。
朝一と同じ、机に突っ伏した格好のマヤ。
その姿を一足先に職員室に戻った速水は、じっと見つめていた。
幸か不幸か、速水はマヤと向かい合わせの席だ。
背の高い彼は、見下ろす形で、彼女の一挙手一投足を見ることができる。
マヤの隣の席である水城も、彼女の様子を窺ってはいたが、それでも励まし
の言葉など口にすることはなかった。
“頑張りなさい”などと言えば、余計に彼女を萎縮させるのは必至。
所詮は自身で解決せねばならない問題。
教師としての第一歩なのだから。



先程のHRで、B組からまたまた爆笑が起こっていたのを、二人とも聞いて
いた。
それは、どう考えても場を和ます為、教師が放った言葉に反応した笑いでは
ない。
なにか、突発的な出来事に対しての笑いであった。

また、何事かをやらかしたのだろう・・・

決して憶測ではない、いっそ確信に近い状況が脳裏を過ぎり、速水と水城は
溜息をついた。
重なる溜息に気づいた二人は、互いに視線を合わせると肩をすくめた。
そんな周りの様子など、なーんにも見えないマヤは悶々と頭を抱えた状態を
キープし続けていた。
やがて彼らの頭上で、1限目の始まりを告げるチャイムが鳴り響くこととなる。
「行くぞ。チビちゃん」
軽く叩いた肩が震えているのを、速水は見逃すことはなかった。
「・・・はい・・・」
のろのろと立ち上がるマヤの、あまりにも危なっかしい様子に一抹の不安を
感じる。
それでも、速水になす術などなかった。
彼はそれ以上の言葉を繋ぐこともなく、職員室を後にする。
マヤは教師用の教科書、そして授業の資料を胸に抱く。
そして唇を真一文字に結ぶと、速水の後ろに付き従う形でやはり職員室を後
にした。





速水は先に職員室を出たが、いつもとは違う、ゆっくりとした歩調で廊下を歩
いていた。
やがて後方から、マヤが近づいてくるのが分かった。
互いの歩調が重なることはなかったが、彼女の存在だけははっきりと認識で
きた。
「速水先生・・・」
控えめな口調が、彼の後ろから聞こえた。
「一つ、教えて下さい。いい教師って・・・いったいどんな教師のことを言うん
ですか?」
自信のなさがありありと浮んだ、彼女の問い掛け。
「なんだ・・・いやに神妙な質問だな」
「・・・お願いです。教えて下さい」
きっと彼女は涙目になっているのだろう。
声が僅かに震えていた。
「いい教師?そんなもの今までお目にかかったことなどないな」
「えっ?」
「いい教師など、いったい誰が評価を出すんだ?生徒の成績を向上させた
者か?それとも彼らの心情を深く汲み取ってやる者か?または保護者の受
けのいい者か?そんなことは誰にも分からん」
「速水先生・・・」
「自分で見つけることだな。それが君の仕事だ。君も・・・教師なんだろう?」
いっそ振り向いてしまいたい衝動を抑えつつ、速水は言い捨てる。
吐き出した言葉を振り切るように、彼は自分の担任であるC組に姿を消した。
(ヒドイ・・・)
先輩教師である速水の、あまりにも冷たい返答に、マヤは唇を噛みしめ、黙っ
てその背を見送ることしか出来なかった。











HR時とは違い、今のB組は適度な静寂が外にまで感じられる程であった。
マヤは扉の前で一旦止まる。

――自分で見つけることだな。それが君の仕事だ。

速水の、最後の一言が蘇る。
いい教師。
なれるか、なれないかは別として、マヤは自分の情熱を傾けることができる
のは、教職しかないと思っていた。
(負けない・・・あたしは負けないわ。あんな冷たい人なんかに、絶対負けな
い!!)
やがてマヤは前だけを見据え、教室のドアに手を掛けた。
再び巻き起こる、胸に渦巻く情熱。
それが全身を駆け巡り始めた。

マヤの入室が合図となり、彼女にとって波乱の初授業が幕を上げることとな
る。



意気込んで教壇に立ったマヤだったが、やはり生来のアガリ症を簡単に克
服できるものではない。
「今日から“羅生門”について学んでいきたいと思います」
目線は落ち着きなく宙を舞い、出される声はあまりに小さく、きっと後ろまで
届いていないだろう。
「先生!!聞こえません!!」
案の定、一人の生徒から抗議ともとれる声が出た。
「ごっ、ごめんなさい」
マヤは体をビクリと震わせ、すかさず頭を下げた。
「先生、大丈夫ですよ。落ち着いて」
HR時に助け舟を出してくれた真島良が、再び彼女の援護に回った。
「あっ・・・ありがとう。真島くん」
情けなさで涙が出そうだった。
それでも深呼吸をし、なんとか体勢を立て直そうと試みる。
「あ・・・それじゃ、最初の1行目から次のページの4行目まで・・・真島くん、
読んでくれる?」
「はい」
澱みない真島の朗読が始まった。
マヤは担任の生徒の前年の資料には、全て目を通していた。
真島は成績も優秀で、常に学年でも10位以内に入っていた。
その朗読の的確さからも、彼の優秀さを窺い知ることができた。
「はい、ありがとう。真島くん」
やがて、徐々に落ち着きを取り戻したマヤは“初授業”という大海に、身を投
じる。
だが、その瞳の色は、凪いだ海のように穏やかであった。
「それでは本文についてですが・・・」
声も、自然と勢いづいてくる。
「この“洛中のさびれ方”を表す記述ですが、勿論すぐに分かることだと思い
ます・・・竹中くん、答えて下さい」
マヤは、教壇のすぐ前に座る男子生徒を名指しした。
「はい」
起立し、教科書を目線に合わせた竹中は、すかさず回答を探し当てた。
「“仏像や仏具を打ち砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした
木を、道ばたにつみ重ねて、薪の料に売っていたということである”が“洛
中のさびれ方”にかかる部分です」
行き成り当てられた竹中ではあったが、彼も真島同様、優秀な生徒であっ
た為、苦もなくあっさりと答えた。
「そうですね。そしてその所業は“生きるのに必死で敬うべきものまで壊す
ほど、人心が荒れている様”を表している・・・ということです」
黒板に、自分の言葉を書き記していくマヤ。
そして生徒達は、各々教科書に、ノートにとそれを書き綴っていった。
流れ始めた授業。
それは、ごく普通の風景であったが、何故かマヤは違和感を感じた。

なにかが違う。

マヤの目の前の生徒達は、皆一様に、そして真面目に授業を受けている。
それ自体、不満があるというほうがおかしい話だ。
だが彼らは文章を咀嚼し、それを読解する能力に長けていても、その題材
である物語にまで心を砕いたりはしていない。
長文を理解する基本は、やはりその話に陶酔することが一番の近道だと思
う。
それが身に付いていれば、どんな長文に当たっても、きっと答えの糸口を見
つけられる筈。

ならば・・・

「皆さん、これからあたしが朗読をしますね。“羅生門”の世界へ、一緒に旅
してみましょう?」
何の脈絡もないマヤの提案に、教室内が一斉にざわめく。
そんな生徒の反応など、今のマヤにはお構いなしだ。
よりいっそうの深い読解力というものを、生徒達に理解してもらいたかった。
「それでは・・・よく聞いてくださいね」
マヤは軽く咳払いをし、豊かな黒髪をふわりとかき上げた。



『ある日の暮れ方のことである。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待
っていた。』
呆気にとられていた生徒達だったが、これも何か策のある、授業の一環な
のだと思い当たる。
そして気を取り直し、彼女の朗読に耳を傾け始めた。



『・・・するとその荒れ果てたのをよいことにして、狐狸が棲む。盗人が棲む。
とうとうしまいには、引き取り手のない死人を、この門へ持ってきて、棄てて
ゆくという習慣さえできた。・・・』
抑揚のある、また素晴らしく響くマヤの声が、教室いっぱいに広がった。
その声色が、瞬間にして彼らの心を奪った。
彼らは抗えない、何か目に見えない力に、拘束されつつある自身を感じて
いた。



『・・・どうにもならないことを、どうにかするためには、手段を選んでいるいと
まはない。選んでいれば、築土(ついじ)の下か、道ばたの土の上で、飢え死
にをするばかりである。・・・』
今度は彼女の声が、濁った、そして徐々に緊張に満ちたものへと変わっていっ
た。
それに呼応するかの如く、生徒達の間にも緊張感が漂う。
調子を変え、色を変え、忍び込むように心の襞に絡み付く。
まるで七色の声。



『・・・見ると、楼の内には、うわさに聞いたとおり、幾つかの死骸が、無造作
に棄ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つとも
わからない。・・・』
淡々と語られる、無残な羅生門の楼内での惨状。
なんと空恐ろしい状況だろう。
その有様に、教室内は沈黙に満たされる・・・
が、しかし・・・生唾を飲み込む音だけは、禁じえることはできなかった。



『・・・下人は、それらの死骸の腐爛(ふらん)した臭気に、思わず鼻をおおっ
た。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻をおおうことを忘れていた。ある
強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからである。』
新たな展開に気づいた生徒は、慌てて目を上げ、朗読するマヤを凝視した。
そのマヤの目は彼方、そう何処か別の世界を見つめていた。
それに引きずられる生徒達。
彼らも同様に、遥かな世界を垣間見ようとしていた。



『下人の眼は、その時、はじめてその死骸の中にうずくまっている人間を見
た。檜皮色(ひわだいろ)の着物を着た、背の低い、やせた、白髪頭の、猿
のような老婆である。』
ただ“羅生門”の一節を朗読しているだけなのに、彼らには安易にその老婆
が想像できた。
あまりにリアルな映像までが、その頭に浮んでくる。
迫り来る映像の数々に、女生徒の中には思わず目を瞑る者もいた。
だが、そのリアルさ故か、彼らは残像にすら恐怖した。



『その老婆は、右の手に火をともした松の木片(きぎれ)を持って、その死骸
の一つの顔をのぞきこむように眺めていた。髪の毛の長いところを見ると、
たぶん女の死骸であろう。』
やがてマヤは教科書を教壇に置くと、身振りを交え、老婆の様子を語り始め
た。



死骸を冷静に眺める老婆。
そして、その老婆の胸中はどうなっているのか?
想像に難い精神の荒廃は、とどのつまり“洛中のさびれ”が原因なのだろう
か・・・
だとすれば、なんと無残なことだろう。



『下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は息をするの
さえ忘れていた。』
それは、朗読を聴いている生徒達も同様であった。





この場はすでに、教室ではない。



マヤの創り出した“羅生門”の世界へと、変貌を遂げていく。



そして、生徒達は否応なしに、その“異世界”の住人となっていくのだった。







<第2話 Part2  END>





2006年01月17日  written by Aileen






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