Whirlwind



(原案・設定・構想)
Aileen・kujidon・shima・瑠衣



第2話 Part3  天性のきらめき





2年B組は今まさに、異空間へと、その存在が移行しつつあった。
誰もが心を奪われ、そして物語に陶酔していった。
マヤの語る“羅生門”の世界に・・・



『老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると・・・』
教室の、あちらこちらで、ひっ、という声が上がった。
死骸の首に両手をかける?
そんな行為を平然と行う、老婆。
想像すらしたくもない、おぞましい行い。



『・・・ちょうど、猿の親が猿の子のしらみをとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。』
マヤは陰鬱な瞳で、その老婆さながら、両手を前に翳し、死骸の髪の毛を抜く仕草をした。
そして、その抜いた髪の毛を、一本、一本、丹念に手のひらに収めていく。
身の毛もよだつ、マヤの語る老婆の行動。
教室内の緊張は、まさにピークに達していた。



『髪は・・・手に従って抜けるらしい・・・』



「キャー!!」

耐え難い緊張感からか、それとも、あまりにもおぞましい映像がクリアに頭に浮んだからなのか。
女生徒の幾人かが、耳を塞ぎ、机に顔を埋めた状態で頭を大振りした。
一瞬にして、騒然となるB組。
誰しも事の成り行きに呆然としたまま、それでも、尚食い入るようにマヤの姿を見つめていた。

それはまるで、魅入られた殉教者の姿であった。





速水は隣のC組で、通常通りの授業を行っていた。
時折マヤのB組が気になり、注意力が散漫になりかけたが、持ち前の平常心でかろうじてそれを抑えた。
自分でも不思議だった。
たった一人の、しかも少女のような新任教師に、意識を持っていかれそうになるとは。
不甲斐ない己自身を律するように、殊更授業に没頭しようと速水は心掛けた。

「キャー!!」

その刹那、B組から、微かに女の悲鳴が聞こえた。

(チビちゃん!?)

それを聞きつけたのは、速水だけではなかった。
C組の生徒達も、それに気づき、教室内にさざ波が立つように動揺が走った。
「君たちは、このまま待っていなさい」
速水は逸る心を抑え、ドアを開けると、B組の方向を覗き込む。
廊下はしんと静まり返り、先程の悲鳴が、まるで嘘のようだった。
一歩、廊下に踏み出し、速水はB組へと向かう。
そっとマヤの教室に近づくと、後ろのドアから室内を覗く。
教壇ではマヤが、何事か身振り手振りをしながら、生徒達に話しかけているようだった。
その様子は何とか見えたが、声までははっきりと聞き取れない。
業を煮やした速水は、前方のドアに回り、気づかれないよう少しだけドアを開けた。
そんな彼の目に、一番に飛び込んできたもの。
それは・・・



驚愕を顔面に貼り付けた、生徒達だった。



マヤの声が、今度ははっきりと聞こえた。
『・・・下人には、もちろん、なぜ老婆が死人の髪を抜くか、わからなかった。したがって、合理的には、それを善悪のいずれかにかたづけてよいか知らなかった。』
朗々としながらも、何処か世紀末的な匂いのする、マヤの語る世界。
一節からも、それは“羅生門”だと速水には判った。
しかし、それは彼が知る“羅生門”とは明らかに異なった。
澄み切った清水のようでもあり、また汚泥にまみれた沼底を垣間見たような気もする。
様々なイメージがマヤを中心に渦巻き、抗えない、尋常でない世界が瞬間にして広がった。

(・・・これはなんだ?これが“羅生門”だというのか?)

速水の中で、衝撃という名の閃光が走った。





『しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くということが、それだけで既に許すべからざる悪であった。』
時折、鬼気迫る表情で、まるで未知なる世界を提示する、マヤの語り。
やがて、驚愕の表情から抜け出した生徒達は、その語り部に心酔する様相を呈し始めた。
まるで刻が止まったかのような、教室。
そして、その中核にいるのは、まさしくマヤであった。
たった数行なのに、それを聴いただけの速水の心までが、波のように揺さ振られた。
まさしく、この語り部の世界観に引き込まれた、生徒達。
速水は波間を漂う小船に、彼らと共に乗船している感覚に陥る。

「驚いたわね・・・」

背後からの声に、速水は瞬時に現実へと引き戻された。
「水城先生・・・」
ぼんやりとした彼の精神は、まだ教室内の彼らと共にあった。
「何があったのかと思ったら・・・」
どうやら水城も速水同様、悲鳴を聞きつけてここまで来たようだ。
隣のA組は彼女の担任するクラスであり、1限目の担当クラスでもあったからだ。
「不思議な人ね、北島先生は。いつもの彼女からは考えられない」
「・・・・・・」
その問いに、速水は答えることができなかった。
計りきれない衝撃が、今も彼の身に留まり、抜け出ていかないせいだった。
ドジで、何のとりえもなさそうな教師、北島マヤ。
だが、そんな彼女のかもし出す世界は、とんでもない魅力に満ち溢れたものだった。
誰が想像し得ただろうか?
彼女の隠された、教師としての非凡な一面を。
「ほんと、興味深いわ。彼女・・・」
水城は眼鏡の奥に隠された、美しい切れ長の目を細める。
そして、ついっと身を翻すと、静まり返った廊下に、リズミカルなヒールの音だけを残し、その場から立ち去った。

そんな二人の姿を、少し離れた場所から月影は見遣る。
軽く腕組みをし、不敵な笑みを浮かべる彼女は、やがて黙って姿を消した。

残された速水は、魂を抜かれたように、ただ立ち尽くすのみであった。









「皆さん、あたしに付き合ってくれてありがとう」
マヤの、その一言で我に返る生徒達。
教科書の冒頭から末尾まで、一気に読みきったマヤは、清々しいとも言える笑顔を彼らに向けた。

なんだったんだ・・・何があったのだ?

正直な彼らの感想は、まずそれだった。
我が身に降りかかった出来事、というにはいささか大げさだろう。
何故なら、自分達の担任教師は、ただ教科書を朗読していただけなのだから。
だが、半身をもぎとられたような、奇妙な感覚。
終ったと同時に、置き去りにされた感覚に全身が支配された。

確信。

自分達は夢の世界に、たった今までいたのだという確信。

それは紛れもない“羅生門”の世界。

教壇で微笑む担任と、浸っていた世界とのギャップに戸惑いを隠せない生徒達であった。



その後、滞りなく授業は進められた。
ただ、今までと違うのは、授業の内容が面白いくらいに、まるで体中に吸収されるように理解できることだった。
やがて響き渡るチャイムの音が、授業の終わりを高らかと告げた。



閉めの礼を終え、マヤはゆっくりと教壇から降りる・・・予定だった。
「きゃっ!!」
慣れないヒールが教壇の縁に引っかかり、今度こそ体勢を立て直す暇もない。

後はご想像通り。

盛大にひっくり返るマヤ。

呆気にとられる生徒達。

HR時に彼女を庇った真島ですら、二の句が継げなかった。
まるでマンガのように、べたりと教室の床に全身を広げた状態の担任教師。
生徒達はごくりと生唾を飲んだ。
しんと静まり返った教室内。
やがて、のろのろと無言で立ち上がったマヤに、彼らの視線が集中した。
彼女は洋服の埃を掃い、こほんと咳払いをすると、彼らに向き直った。
そしてにっこりと笑うと、一言呟いた。

「本当に・・・先生稼業も楽じゃないわね」

人懐っこい、思いもかけない笑顔。
素のままの彼女に、彼らは瞬間、見惚れてしまう。

「それじゃぁね〜」
右手を軽くひらひらさせつつ、マヤは教室を出て行く。
後ろ手で扉を閉めると、途端に沸き起こる爆笑が、ドア越しに聞こえた。

(ああ〜ん、また、やっちゃったぁぁぁ)

マヤは逃げるように、職員室まで駆け出していった。





こうして前後に不測事態(いや予想がついたことかも?)が起こったが、兎にも角にもマヤの初授業が終った。
しかし、目を見張る程の、彼女の教師としての天性のきらめきが遺憾なく発揮されたこと。
そして生徒達との距離感が、ぐっと縮まったことには、まだ気づかないマヤであった。







<第2話 Part3  END>





2006年02月07日   written by Aileen






登場人物紹介






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